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4、バングラデシュ滞在

4、バングラデシュ滞在
12 ダッカからコルカタまで  

13 コルカタ 名古屋に向け 

12日未明出発です  

a 陸路国境越えのイミグレーションと

緩衝地帯について

2016.5.10
12 ダッカからコルカタまで

無事バスに間に合って7時間

かけてダッカに着きました

宿泊先ではチッタゴンのNGOの

ボスの悪口に意見が一致しました


またリキシャでバスカウンターまで、

今度はインドのコルカタまでの

翌日のバス切符を買いに行きました

5月11日ダッカを出発です

又15時間以上はかかります

出発の朝、リキシャから見てると

町に警官がいっぱい立っています

聞くと昨夜吊るし首の殺人事件が

あったそうです


n.jpg

今回のバスは友好の橋でなく

フェリーを使うようです、たぶん

来た時とは違う経路を

走るバスだったようです




nn.jpg

川とは思えないほどの広い川です

そして来るときに失敗した国境に着きました


nnn.jpg


インドとバングラデシュの国境です

日本の国旗にそっくりです

今度はミスもなく手続きも済みました


国境を過ぎたらガードマンなのか、

兵士なのかわかりませんが

自動小銃みたいなものを抱えた

若者が乗り込んできて

通路を挟んで、私の隣に座りました

そしてバスが走り始めたら間もなく

居眠りを始めました

銃口は私の足に向いたままです

彼がテロの夢でも見ていたらと

気が気ではありませんでした

途中で彼が起きた時にお願いして

写真を撮らせてもらいました




そして今また思い出しました

帰ってきてすぐにジャカルタに出かけたり、

スマホに変えたりしていました

思い出して探した時にはインド、

バングラデシュの写真が見つかりません

残っているのはラップトップの写真だけです

町中で気楽に取れたガラケーの

写真が全部見つかりません



今回の私の旅行は写真が目的では

ありませんでしたが

インドとバングラデシュの、

ガラケーで撮った写真が

全然見つからないのは

思い出しても残念です



バスの話に戻ります

コルカタ行きのバスは運転手に

告げて町まで行かずに

チャンドラボースインターナショナル

空港に近いところで降ろしてもらいました



空港まで歩きます



2016.5.11
13 コルカタ 名古屋に向け 

12日未明出発です
空港の見える場所でバスから

おろしてもらいましたが

フェンス沿いには行けないで

町の中を信号渡ったりして

行く結果になりました
人によって教えてくれる道が違います
国内、国際、ターミナルナンバーに

よって入口が違うのかも知れません
でも出発まで7時間以上あります、

いくら道間違えても時間までは

間違いきれません
帰りの飛行機は中国東方航空で、

昆明、上海と乗り換えです
チッタゴン、ダッカからの

バス連続で腰が重くなってきました
また長時間の飛行機です
直通でないのが今回は腰によさそうです

la.jpg

ターミナルに到着しました
12日未明の出発まであと

5時間以上はあります
今回は空港の免税店で高いタバコを

買わされないように
バングラデシュ内でと、バス休憩の時に

ばらではありますが
外国タバコ2カートン分は買ってあります
1箱100円と少しです
あとは中国の空港免税店で

日本タバコを2カートン買う予定です
1箱250円くらいしますがこれは

どうしようもないですね
3か月近くそれで持たせて

日本での節約を図ります
日本には12日の夜8時ぐらいに

着く予定です
退職後初めてのインド、バングラデシュ

1か月の旅行はこれで終わります



17/05/09
a 陸路国境越えのイミグレーションと

緩衝地帯について

nnn[1]

こんなところに日本人見てて思い出しました

せいじが南アフリカからレソト王国に

行く時に両イミグレーションの

間の緩衝地帯の話が出ました

思いだしたのはインドから

バングラデシュへバスで移動した時の事です

インドのコルカタからバングラデシュの

ダッカまで15時間のはずが18時間

かかったバス移動です

朝6時にコルカタのサダルストリートを

出発してバングラデシュのダッカに

着いたのは夜の12時でした

国境のイミグレーションでの出来事です

インド側で出国手続きして、

バングラデシュ側ではスタッフに日本は

ハイテクの国だと言われたりして、

厳しくもなく気分よく入国手続き

して建物の外に出て気づきました

バスに預けた荷物を持たずに

イミグレーションを通り抜けたみたいです

気になりバスを探すとすぐ近くに止まっています

そして私の旅行カバンがバスの脇に

置かれています

荷物の所に行くとスタッフらしき人が

バッグの持ち主を待ってたみたいです

このバスまで引き返した場所が

多分何処の国にも属してない緩衝地帯

なんだと思います

出国、入国が終わったのにインドに

残した荷物とバスまでバングラデシュ

入国手続き済後に自由に引き返すことが

出来たからです

待ってたスタッフと慌ただしく

インド側からイミグレーションの

2まわり目です

スタンプは両国とももらってますから、

スタッフの説明で両イミグレーションを

駆け抜けました

何を頼んでもワイロを要求するアジアで

気持ちよく二人三脚のスタッフに

チップを渡したのはこの時が初めてでした

ここからまた10時間以上かけて

やっとダッカに着きました

バスの発着場の前の路上で降ろされて

人は散らばって行き発着場の入

り口も閉められました

暗い街灯の下の路上に真夜中に

1人取り残された時は焦りました





17/10/05
次の旅行先を検討


バングラデシュまでの飛行機代

バングラデシュまでの飛行機代

いつもエクスペディアが安いからます

エクスペディアで調べてみました

一月七日から二月五日までの

一ヶ月のチケットです

70540円であります

諸経費込みです

思ったより安いです

東南アジアの中でも高いには違いないですが

行きの瓶

一月七日セントレア10:30発

行きは30時間

中国東方航空 乗り継ぎ2回です

乗り継ぎは上海、昆明

帰りの便

ダッカのジャージラル空港14:35分発です

帰りは21時間

中国東方航空 乗り継ぎ2回です

乗り継ぎはやはり昆明、上海です

やはりチケットはエクスペディアでしようか



17/10/05
ダッカミャンマーの航空券 は
少々高かった

多分高いと思いますが

名古屋からバングラデシュのダッカ

ダッカからミャンマーへ

ミャンマーから名古屋の航空券を

調べてみました

前回最安値の日本人には不評の

eDreamsでまずやってみました

eDreamsのサイトです

3都市周遊です

びっくりです

179000円が最安値です

ダッカ行はすぐに断念

今度はスカイスキャナーでやってみました

最安値は114000円

これでもまだ高いです

やはり一番やすいチェンマイと

ミャンマーでしょうか

ダッカは先に延期になりそうです

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3、バングラデシュ滞在

3、バングラデシュ滞在
10 パテイアの田舎のこの

風景もあと一日です  

11 パテイアのボランティア最終日  

12 センターからチッタゴン

そしてダッカまで

2016.5.8
10 パテイアの田舎のこの風景もあと一日です

1.jpg

この風景で毎朝始まりました
向かいの道から子供たちが家族に

連れられて右のセキュリテイの

宿直室脇の玄関からセンターにやってきます

c (2)

町からセンターまでの右手の道は

このように整備されています
集落に入って行く脇道は

少ないですから近道するために

田んぼのあぜ道をよく歩きます
センター前の踏切を左手に渡ると

まるで田舎道で次の集落まで

回り道になっています


d.jpg

この線路が次の集落まで直線コースを

占めてるからです
だから皆この線路を歩いて行ったり

来たりしてます
ちゃんと線路の脇に踏み固められた

道が出来ています
左手のほうの集落にはチャイが

飲める田舎カフェーもあります
民家の土間にテーブルと長椅子や

丸椅子がおいてあります
村の憩いとコミュニケーションの場です


c (1)

センターの裏手は畑か田んぼが

広がっています、家庭訪問で

よく利用したあぜ道は奥のほうです

今日はクムと事務の女性と一緒に

パテイアの警察署に行きました
センターに訪れた外国人は警察署に

届けなくてはならないらしいのです
外国人登録証の短期版みたいな

制度なのかよくわかりませんが

手続きしてきました
もう明日はセンターを出るというのに

何で今頃なのかはわかりません
警察のスタッフの女性の一人は

中国系の仏教徒だと話してました
ほとんどがイスラム教徒のこの国の

田舎町で、こんなところに中国人!ですね
中国人は昔からどこにでも

進出していますね
バングラデシュに中華街があるのか

どうかは知りません



2016.5.9
11 パテイアのボランティア最終日
今日がセンターのボランティア最終日

い

こうした景色も見納めです
線路はタバコを買いに

毎日歩きました
禁煙キャンペーンのポスターも

タバコ屋さんに張らせてもらいました
店の主人と笑いながら張りました

ろ

町に行くにはCNGで,家庭訪問は

あぜ道を通って、ほとんど歩くことの

なかった道です

は

ラップトップで写真撮っている

とチャチャに目を付けられました
写真を撮ってくれと言われます
肌着を脱いで準備しました

に

まだ物足りなかったのか
待ってくれと言って宿直室横から

木を抱えてきました
昼間に道向かいでチャチャが

鉈一つで切っていた木です
72歳とはすごいですね、

バングラデシュの例外人種です

最終日はセンターのスタッフ

10人ぐらいと記念写真を撮りました
私は持ってません
もしかしたら又いつか訪問できたら

壁に貼ってあるかもしれません



16/05/09から
12 センターからチッタゴン

そしてダッカまで

9日最終日が終わったら男性スタッフの

一人がCNGでパティアの町まで

送ってくれました

通りでチッタゴンまでのCNGを

拾ってくれて値段交渉もしてくれました


パティアに来る時には気づきませんでしたが、

チッタゴンの郊外に入ると、

土埃のひどさが気になりました

東南アジアはだいたい似たようなもので、

バイクの運転する時は結構マスクを

付けて運転しています

白でなくカラフルな模様入が多いです


チッタゴンではまたNGOのボスの家に

泊まりました

チッタゴンを出る時に前払いして

行ったのですが、釣りがなく

帰って来た時に払うからと、

そしてバスチケットも買って置くからとの

約束だったのですが、ボスは夜中まで

帰って来ません

やっと帰って来たかと思えば

バスチケットは予約もしてなく、

釣りもありません

釣りがないとダッカの宿泊費も払えません

そうしたらダッカの宿主に電話して

Bkashで払うからと言います

B kashもなんだかわからないし、

相手がそれで了解するかどうかも

わかりません 夜中です 

メールしたけどとっくに寝ているでしよう

困った人達のためにNGOを運営し

頑張っているのかもしれませんが

わたしはいろんな事で、すっかり

信頼をなくしました

翌朝ダッカより返事ありB kash で

良いけど連絡はもらっていないといいます

必ず貰うから大丈夫、帰っておいで

という返事です


翌朝七時初のバスに乗るのに

送ってくれる運転手は6時半まで

姿を見せません

バスカウンターまで急いでいるのに

道の真ん中を塞いでお祈りしている

団体があります

狭い道路のため一方通行の多い

チッタゴンで、回り道してもう

バスに間に合いません

運転手は全然あわてません


15分遅れてバスカウンターに着きました

そうしたら普通にバスチケットの

発券をしています

慌ててバスに行っても他の乗客は

乗ってません

ダッカ行きを確認し

スタッフに聞けばもうすぐ出発だから

待っててくれと言います

間に合いました

これがチッタゴン時間なのかは

わかりませんが、バスに間に合って一安心です

ダッカまで予定通り帰れます

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2、バングラデシュ滞在

2、バングラデシュ滞在

7 パティアの村で夕方から

朝まで軟禁生活です 

8 パテイアの村の水、電気  

9 ここの村はトトロの森のような風景です

2016.5.5 

7 パティアの村で夕方から

朝まで軟禁生活です

センターは日本の大使館の

援助で作られていました

9割が日本から1割はいろんな

ところからの寄付金です

おもな目的は障害を持つ

子供たちの体と言葉の

リハビリのようでした

ここでの滞在費は食事付

ボランティアで一日五ドルです

格安です

いろんな国の団体がボランティアを

募集していますが、

大半はボランティアとは名前だけで、

手とり足取りの観光客扱いで

2週間で10万くらいとるのが普通で、

ボランティアという名の観光客

呼び込みと同じに感じます

ここではクムという30歳代の

女性が筆頭みたいで私の案内役でした

到着2日目の昼はクムとあと二人の

女性と一緒にセンターの台所で

食事しました

みな弁当を持って来ています

彼女らの弁当の量の多さには驚きました

日本の男性労働者でしようと

思えるくらいの量を食べてしまいます

お皿にご飯とおかずを乗っけて手で食べます

チッタゴンのフォーマルな

結婚式ではないですから、

わたしは箸とスプーンを

使わせてもらいました

最初の一日はクムに付いて、

パティアの町の役所とか、

病院とか母の日のイベント見学

とかして回りました

次の日からはクムの指示で

リハビリ専門の女性に付いて

家庭回りをしたりしました

家庭訪問は田んぼのあぜ道を

近道したり、ぬかるみで引き返して

他のあぜ道を探したりです

靴では泥だらけになるからと、

次の日は朝からぞうりはいて

準備していると町の病院の、

センター受け持ちのリハビリセクターに

連れて行かれたりして、履物も

着ているものもチグハグでした

それにリハビリの真似をして

ストレッチの手伝い程度が精一杯で

あまり役に立つ事は出来ません

センターでは幼稚園みたいな

教室が3つくらいと、障害のある

子供の発語訓練が一クラスと、

大人の皮膚や骨に問題を

かかえている人のリハビリか

治療の混じったような活動をしていました

着いた日の夜からセキュリティ通じて

弁当が届けられます

セキュリティ兼雑用のおじいさんは

70才以上でチャチャといいます

短命のバングラデシュでは

稀有の存在だと思います

65歳のわたしもあちこちで

年齢に驚かれました

東南アジアでは60才以上の人は

健康問題かかえて外を出歩く人

は少ないと言います

センターが五時に終わると

6時にはチャチャが写真の

鉄製の扉を施錠します


gennkann (1)

正面玄関の内側からはこんな状態です

そうすると朝の七時頃までは

外に出られなくなります

わたしの部屋もこのセンターの中です

仮に外に出られても田舎の村ですから

何処に行けるわけでもないんですが

部屋はベッドが4つある部屋で

ボランティア用の部屋として

教室の一室を利用してるみたいでした


2016.5.6
8 パテイアの村の水、電気
WIN_20160503_171110 (1)

センターの玄関への通路です


WIN_20160503_171126 (1)

正面玄関左側です

朝7時ごろにチャチャが朝食を

届けに来て玄関の扉を開けてくれます
御飯の量がいつも多いです
クムにご飯はどうかと聞かれて

量が多いと返事しましたが変わりません

食事のあとセンターの玄関周りを

掃除します
ボランティアとしてほとんど

役に立ってないために

思い立った行動です
夕方と二回掃除します
九時ぐらいになると幼稚園の

子供たちが集まってきます
送り迎えの母親たちは授業の

終わる12時近くまで台所横の

広間に集まって井戸端会議でずっと

センターで終わりを待ってる人も多いです
私は授業が始まったころリハビリの

女性について田んぼのあぜ道を
歩き始めることが多いです
訪問先には障害を抱えた子供がいます
予約なしの訪問で、子供がいなければ

次の家です
困ったことは訪問するたびに

甘いジュースとスイーツを出されることです
高血糖に悪いと思いながら最初は

手を付けていましたが
そのうちに女性に説明してもらって

断ることができるようになりました
するとそれならこれは甘くないからと

ほかの飲み物を出されたりして
余計に手間をかけさせたりで

恐縮していました
昼には帰ってきて、昼食をまた

一緒に取ることもあります
クムと、リハビリ女性、もう一人は

事務員だということが分かってきました
食後の食器の洗い方も皆本当に、雑です
水道の水はチョロチョロとしか出ませんから
私基準ではまだきれいに洗えてなくとも

皆はそれで終わりです
午後はまた家庭訪問します
4時ごろには1日の活動は終わりです
一日が終わって5時ごろには

センターのスタッフも帰って行くと

又チャチャと二人だけになります
六時には扉を施錠されチャチャは

敷地入口のセキュリティ室に行き

寝泊りしています
私はセンター内に一人になります
部屋のシャワー室で水圧のないシャワーです
勢いよく出ないから寒さを感じるのが和らぎます
昼間は暑くても夜の水のシャワーは寒いです
シャワーのあと衣類の洗濯を始めます。
水の出が悪くバケツに水がたまるのに

時間がかかります
バケツの中で手洗いです
すると洗濯の途中で停電になります
裸のまま真っ暗になりやれることもなく

体を拭いてベッドに横になります
一時間ほどで明かりがつきます
残りの洗濯を慌てて終わらせて

干さないとまた停電が来ますから
忙しいです
1回目の停電が終わったころ

チャチャが夕食を持ってきてくれます
早く食べないとまた真っ暗になります


部屋から

時間に余裕があるとラップトップで

作業したいのですが
ここは電波の孤島、窓を開けると

つながりやすいと業者は言いますが
写真の窓を開けたら蚊が入ってきます
電波が来なくて日本の妻と二日間

メールも出来なかったりしました
メール出来て、洗濯が終わって、

食事も済むともう怖いものはありません
いつ停電が来ても大丈夫です
だいたい夜寝るまでに3回くらいの

停電になってました
ただ眠くもないのに早くから

ベッドに横になるしかないのは
不便な生活だなーと思っていました



2016.5.7
9 ここの村はトトロの森のような風景です

センターのプライベートの生活は

不便なことばかりでしたが

新しいことに挑戦しているような、

サバイバルの練習をしているような、

不思議に楽しい生活でした

その上にこのセンターの

ロケーションは毎日写真を

取りたくなるような不思議な光景でした

まるでトトロに出てくるような

アニメっぽい風景です



1.jpg

センターの正面玄関から庭越しの風景です

線路が道と交差していて整備されてなく

段差があり,車、自転車、CNGなどは

ここはゆっくりと進みます



アニメ世界でも朝夕は渋滞します


一日に数回は列車も走ります

これは貨物列車ですが、客車らしいのが

走るときもあります

というのは、センターのスタッフに

聞いたところここは貨物車しか

走ってないというからです

事実は確認できないままです

この風景に毎日感動していました

いつか妻もつれて又訪問したいです

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1、バングラデシュ滞在

バングラデシュ滞在

16/04/26

真夜中

1 ダッカ着から宿泊先へ I Arrived in Dhaka  Tiba di Dhaka

宿泊先には夜中になるから翌日から

という話もしてたんですが、

夜中遅くでもいいから連絡して

来るように言われています

外国で外国の番号に電話することが

私にとってはチャレンジなんです

リキシヤが一台声をかけて来ますが

連絡取れないためにかまっていられません

暗くてどこかもわからないダッカの路上

電話繋がらないとあせります

途方に暮れるころ

リキシヤの兄さんの執拗な

声掛けが実りました

しかしこちらから声をかけても、

リキシヤの兄さんは英語がわからず

状況が理解できないのですが、

通りかかりの人が状況を理解して

私のために宿泊先に電話してくれました

ダッカの夜道を親切な人が

歩いていてラッキーです

それをリキシヤの兄さんに伝えてくれて

めでたく出発です

ここのリキシヤは人力です

宿泊先は多分個人の住宅です

探すのに苦労するかもしれません

料金は多分100タカ、150円くらい

だったと思います

途中で人に真夜中の道を聞いてくれたりして、

ここのはずだと言うところに着きました

そこの広い駐車場の奥にステイ先の

オーナー女性が待っていてくれました

私が料金を払おうとすると、

彼女が払おうとしていた料金より

安い料金でいいといいます

いろいろ協力してくれたリキシヤに

多めに払いたかったのですが、

バングラデシュの言葉と成り行きに任せます

リキシヤは不満足な顔つきで帰って行きました

宿泊先はやはり個人のアパートメントでした

彼女は母親と二人で住んでいて空いてる

部屋を旅行者に提供しているみたいでした

夜中です、挨拶は簡単にシャワーを浴びます

すぐにトラブルです

小さな手洗いの水が出なくて、

そこにタオルを置きました

シャワーのあとタオルを取った時に

下から伸びていた古いホースに

タオルを引っ掛けてしまったのか

ホースが外れてしまいました

その話をしたら、弁償してもらうと言われます

タオル引っ掛けたくらいで外れる

欠陥ホースなんてと思いながら

料金を聞いてみると500円はしないと言います

反論しないで料金聞いてよかったですね

夜中に土産もなしで着いたら、

500円の弁償なんて無いにも等しいです

一気に問題は解決です

バスで15時間の予定が18時間ぐらい

かかってダッカ着でした

疲れてます

安心して眠れました


16/04/28

2ダッカで食材探しと観光 

シダーガット

Find food in Dhaka   

Temukan makanan di Dhaka

アパートメントのすぐ近くに

ポツンポツンと果物や野菜等は売ってました

やはりインドと同じくトマト、

きゅうり、バナナが安いですから

またパンとバナナとトマト🍅が

主食みたいになって行きました

一日二日のうちに200タカで食事も

出そうかと提案されお願いすることにしました

宿泊は800タカ合わせて千タカ、約1400円で

コルカタではプラックコーヒーに

最初はこだわっていたんですが

そのうちに甘くないチャイも

出してくれるところを見つけてからは、

安いチャイに替わってしまっていました。

一杯5タカは7円です

ここダッカのアパートメントの

すぐ近くにも砂糖抜きのチャイを

飲めるところを見つけまし

中学生くらいの男の子が営業していて、

最初は甘いチャイを飲んでいたのですが、

よく見てるといっぱいずつ

砂糖っぽいものを入れています

プラックなら一手間抜くだけです

砂糖を入れないでと理解させるのに

苦労したのですが、一度理解したら

次からはもうお願いしなくても

ブラックで出してくれるようになりまし

どうも砂糖を入れないチャイの存在が

コルカタにもダッカにもないようなので

丸椅子や長椅子で5、6人座れる屋台です

もちろん路上です

落ち着いたら景色の良いところを

聞いて今回の旅行で初めて

観光らしいことが出来ました


Sightseeing today  Tamasya

オールドダッカに近いサダーガット

という川の港です


Shodrugat in Dhaka Dhaka's Shodrugat

オールドダッカにあるシダーガット
にやってきました

すごい数の小舟が人を運びます
それとも漁をしてるのかは、わかりません

川岸はゴミだらけで汚いですが
夕日は綺麗です

川の向こう側はホテル街でしょうか
ここがバングラデシュのダッカです





16/04/29

3 気持ちの余裕も出てビールも

手に入れます

I was able to afford more

I also got a beer

Saya memiliki margin mental

Saya juga mendapat bir

ダッカでは食事も提供されるようになり

気持ちに余裕も出て来ました

ここの娘は40歳を越えてると

思いますがまだ独身です

その彼女の知人達と訪れたレストランです

ただ、街中にはアルコールが売ってません

やはりバングラデシュでは

外国人が出入りする高級レストランに

行かないとビールは飲めないようで

イスラム教の国だから仕方ないです

彼女に聞いたらつてがあるからと言います

彼女について行くとある画廊に行きます

自分の気にいった新人アーティストの

作品を安く買って置いていずれ

ビジネスにするんだと言います

そしてここに来た理由が、

そのアーティスト達にビール🍺を

買える店を教えてもらうためだったのです

彼らは外国人も混じっていてイベントの

後にはパーティとかするらしくどこで

ビール買うのか知ってるんだそうです

情報をゲットして彼女か連れて

行ってくれたところは小さなビルの2階で

入り口の雰囲気はバーです

中に入ると暗くて、彼女が店員に

何か説明しています

間もなく店員がビールのブランドを

聞きに来ました

外国のビールは高くローカルのビールは

安いと言います

350mlのローカルのビールを3つ頼みました

新聞紙みたいなのにクルンでフクロに

入れてくれました

ヤミのビールにしては値段も

覚えていないくらい安かったです

多分一缶300円ぐらいだったと思います

インドで最後にビール飲んでから

1週間くらいは経っています

ステイ先に帰ると彼女は母親に

見つからないようにと言います

一缶彼女に薦めたら断りません

母親の気配がするとテーブルの下に隠します

なんとも微笑ましいイスラム教徒です

彼女は大学はトルコの大学で経済を

勉強したと言います

多分トルコでアルコール覚えたんだと思います

母親は糖尿病をわずらっていて

寝ていることが多いのです

この母親も最初は愛想の悪そうな、

取っ付きにくい感じがしてたんですが、

娘が外出して二人残された時に

何やかや話しかけてるうちに

片言の英語で話してくれるようになりました

今のホームステイも娘が始めたんだと言ってました

自分は気が進まなかったけれどもっていう

雰囲気でした

長男は結婚してオーストラリアに

住んでいるといいます

子供二人を大学に行かせてるから、

バングラデシュでは裕福な家庭

だったのかなと思います

ダッカの生活は快適です

2016.4.30 

4 ダッカの人たち

ダッカの街中を歩くとリキシヤが

声をかけてきて、無視しても追いかけて来ます

実は彼らは便利なので

自分の目的とするものの場所とか

道端の人に聞かなくても彼らに聞けるからで

たとえばタオルを買いたいと言えば

教えてくれながらついてきます

リキシヤであちこち走ってる分だけ

情報も持ってます

そのかわり乗って行けといつまでも

追いかけて来ます

断っても追いかけてくるから

いろんなことが聞けます

雑談しながら目的地に来たら、

ありがとうとバイバイします

街なかにはまず外国人がいません

彼らは皆浅黒で顔つきが違うから、

日本人もまれに見る外国人になります

ハローと声をかけて来たり、

じいっとこちらを見ていたりします

じいっと見ている人にハローと手を振ると

、怖い顔も笑顔になって返事を返してくれます

昔の外人がいなかった田舎の日本と同じです

また街なかは人と車とリキシヤで

あふれていて、バスなんかは交差点では

見動き出来ないほどのひどい渋滞です

その合間を人やリキシヤが無理に

通り抜けて行きます

スピードの出しようもないから

大事に至らないのかもしれません

インドと違うのは声をかけてくるのは

ほとんどがリキシヤで、たまには、

ただの挨拶や乞食です

旅行者をつかまえて、案内等で

食事やビールをおごってもらおうなんて

人はいません

そもそも旅行者がいないから

そんな商売の成立のしようもないのかも

しれません

旅行者がほとんどいないのに

観光地は外国人料金で10倍くらい

とるのが不思議です

アーサン モンジール 

ここも外国人料金です

シヨドル ガットの近くにあります

2016.5.2

5 チッタゴンに行く事になりました

日本を出る前にチッタゴンでの

ボランティアの事を少し調べていました

旅行者でも短期でも受け入れて

くれそうな説明でした

しかしながら私には何の特技も

ありませんから、ボランティアで

人のために役立てるという自信がありません

宿泊先でそんな話をしていたら、

私が連絡を取ってあげるからと言われます

1週間ぐらいでも、特に技術とかなくても

OKならばとお願いしました

返事はOKです

急きょダッカからチッタゴンまでの

バスの手配をし、翌日出発することになりました

やっぱりバス会社はグリーンラインです

友好の橋を渡りチッタゴンまで7時間かかりました

バスが着いたのは夕方でした

バス終点にはNGOのボスが

迎えに来てくれました

迎えのボックスカーには

ボスの子供が二人と、日本人の若者が

1人っていました

かれは以前ボランティアで

お世話になっていて、今回は休みを利用して

遊びに来ていると話していました

バスで疲れてないかと質問されて

大丈夫と答えました

大きな間違いでした、

子供達をおろしたあと日本の若者と

二人夜遅くまで引き回されます

どこのどんなところに行くと言う

詳しい説明もありません

まず行ったところは日本フォーラム

とか言う会合でした

日本人がいるのかと思えば

バングラデシュの人ばかりです

何の会合やっているのかもわかりません

どうも日本人の援助で立ち上げられた

チッタゴンの商工会議所の会合みたいな

雰囲気です

何人かが活動報告みたいな話をして、

そのあと団体の名前について議論を

始めたみたいです

団体名に日本人の名字が入っていて、

それをはずすとか外さないとか

議論しているようです

推測するに、日本のどこかの社長が

この団体の設立にかかわり援助も

受けて発足したんだと思います

そして最近はその社長がいなくなったのか、

かかわらなくなってきたのかの理由で

日本人の名前の入った団体の名前について

議論しているのだと思いました

一時間くらいはそこに居させられたと思います

なんの意図で連れて来られたのかも

わかりませんでした

そこを出てやっと宿泊先に連れて

行ってもらえると思ってほっとしました

でもまだ終わりではありませんでした

ちなみに送迎のマイクロは運転手付です

ボスはと言えばひっきりなしに

何処かに電話しています

車の中で30分以上待たされます

また何処かに行くみたいです

もう夜の九時ぐらいです

連れて行かれた先は結婚式の会場でした

見ず知らずのバングラデシュの

結婚式に連れて行かれました

こに座って居てとか、

この人に挨拶してとか言われます

私は一体何者ですか?と思うような

事をさせられます

結婚するカップルと一緒に

写真を取らされたり、ここの結婚式の

衣装はインドと同じイメージでした

面食らっているうちに食事の時間になりました

またここに座ってと言われたままに座ります

斜め向かいの人が警察署長だとか

紹介されて挨拶をします

食事が始まりました

見ているとお皿の水でみな手を洗います

真似をします

自分の皿に食事が入れられます

まわりが手を使って食べ始めます

真似するしかありません

初めて手を使って食事をしました

意外と普通に食べられます

みな食事が終わりかけます 慌てます

最後にお皿の水で指を洗って、

備えてあるティッシュペーパー

みたいな紙で手を拭いて終わりです

あっけにとられることばかりで

宿泊先に着いたのは12時前でした

そこはボスの自宅兼事務所みたいでした

日本人の若者と同じ部屋でベッドが

二つありました

彼に今日の理解できない行動について

質問すると、また彼も私と同じ感想でした

以前のボランティアの時も数日は

こんなふうだったと言います

詮索しても意味ありません

きっとそういう人なんでしよう

次の日も地元の名士とか外国人経営者の

事務所とか、病院とか連れて行かれました

これもチッタゴンのNGOの人の

仕事なんだろうと諦めの境地で

自分だけ電話しながら何処かに歩いて行き、

運転手と日本人若者と三人で一時間ほど

待たされた事もありました

観光に来たわけでもないから

待たされても差し支えないですが

意味もわからず、いつ戻って来るかも

わからないのは困ります

2016.5.4

6 ボランティアの場所は

チッタゴンからCNGで

一時間以上かかる田舎でした

宿泊先を起点にボランティア

するのかなと思ったら違う場所でした

説明では自力でチッタゴンまで

来ることとなっていました

チッタゴンでは迎えがありました

ところがボランティアをするところは

ここからCNG(ミニタクシー)で

1時間以上かかるところらしいです

そこにセンターがありそこで

寝泊りしながらボランティアをするらしいです

そしてボスのイマムは350タカ

(500えんくらいです)

持っているかと聞きます

なんとセンターまで自費で行かされました

CNGの運転手は途中で燃料補給したり

友達を載せて

途中で買い物したりと気楽な若者です

又友好の橋を渡り

(あちこちに友好の橋があります)

田舎道を延々と走ります

350タカと約束してあるから

遠回りしてぼられる心配はありませんが

心配になるほど田舎道を走り続けます

バングラデシュはテロの心配があるとか

聞いてましたが

テロ犯だってこんな田舎には

住みたくないだろうなと思うような

田舎です。陸の孤島に思えてきました

まだかと聞いてももう少しと答えるだけです
Patiaと言う町に来ました
田舎道の先には町がありました
町を通り過ぎるころ道を迷ったのか

運転手は人に道を聞いて
また今来た道を引き返します
センターには行ったことがないみたいです

町の真ん中あたりから脇道に入っていきます

そこからは自転車がやっと走れるような

池と家の間の蛇行道を

CNGはクラクション鳴らしながら

どんどん走ります

約15分くらいでセンターの

建物らしい所を通り過ぎる

直前にセンターのスタッフが道端で

待っていて呼び止めてくれました

遠いところにに来てしまいました

インドのコルカタからバングラデシュの

ダッカ 

ダッカからチッタゴンへ

全部バスです

それからチッタゴンからCNGでここパテイアまで

PatiaからもCNGで、15分の村でした

センターは本当に田舎村のまた田舎でした

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India 3 インド・バングラデシュ滞在

ビザ取得

16/04/21くらい

ビザ(バングラデシュ)取得しました

土産物屋の店主が紹介したビザのスペシャリストはきちんとした身なりでビジネスマン風です

自分にまかせたら1日でビザが取れると言います

コルカタのバングラデシュ大使館はワイロで動くと言います

自分は知り合いがいるから1日でビザが取れるんだと説明します

そうでないと面接でいろいろ聞かれたりして、日数がかかるといいます

怪しげな話です、値段を聞くと4000ルピアで約6000円

バングラデシュのビザは日本人は無料のはずです

でも1日で取れるなら高くはありません

宿泊施設は一般旅行者は二泊くらいが限度だと聞いていましたから、

土日挟んでビザ取得が伸びるときに、ビザが取れるまでお願いしますと頼んだ手前、

早くビザを取って出て行くに越したことはありません

ワイロが必要だから前払いをと要求します

そして明日の何時にこの店に来てくれといいます

一日が魅力でOKしました

翌日約束の時間に店に行きました

手違いがあったからもう一日欲しいと言います

半分は予想してたけど

それでも怒りがたまり始めます

また翌日約束の時間に行きました

最近ワイロにうるさくなってビザが難しくなってると弁解します

そうかもしれませんが彼が時代遅れなだけです

あるいは彼はただの素人なんでしょう

ここで我慢の限界です

約束違反だから金を返してもらって自分でやるからと伝えます

すると一生懸命やっているのにと、まともに謝りもせず返金を渋ります

彼に殴りかかるポーズを見せたら、店の若者二人に止められて助かりました、

ただのはったりのポーズですから

若者二人にとって私はビールの種ですから、 味方です

出来もしない約束をしたんだから詐欺師と同じだと責めながら、

お金はどこの誰にワイロとして渡したのか聞くとまだ持っていて渡してもいません

申請の書類を見せろと言って彼が出した書類を見て驚きました

私が署名した様式以外にもまだ書類があるのかと思っていたのに、その一枚だけです

そして彼が書いたバングラデシュ現地宿泊予定先欄です

any good hotelと書いてあります

あきれました

彼は何にもしてなかったのです、少なくとも私からみると

もう店主も私の味方です

出来ない約束をしたおまえが悪いと同意見です

どう考えても店主もグルだとしか思えませんが、

紹介した自分に火の粉がかからなければいいと思ったんでしようか

お金とパスポートと書類を返してもらいました

そしてまだ弁解しようとしている詐欺師がどういうわけか少し可哀想になり

あす大使館に一緒に行ってくれるなら半分はあげるからと約束しました

何か力になってくれるかもしれません

次の日大使館に行く途中、まだ時間に余裕があるから自分の家に寄っていってくれと言い出します

一番きらいなパターンです、多分泣き落とし戦術です

案の定彼の家に行ったら、病気だという奥さんが具合悪そうに出てきました、

そしてお茶を出してくれました

彼は収入が少ないから息子の学校に支障が出てるといいます

そこにいた高校卒業控えた息子も私に挨拶させられました

彼が親しくなった日本の慈善家の写真を見せたりします

私にも同じようにして欲しいのでしょうか

やっぱり耐えられません

お茶を飲み干して奥さんにお礼を言い、

詐欺師をうながしてそこそこに彼の家から逃れました

そして彼のやり方を非難しました

昨日は警察に行くことも考えていたくらいだからもう変なことするのはやめてくれと

これから日本人旅行者をだますようなこともやめるように話しました

しかし彼は負けていません

警察に行っても何もしてくれないよと自信有りげです

コルカタの警察も民事不介入かなと思いました

自分は一生懸命やっているのに、

反対に私が冷たくて、我儘な人間だと言いだす始末です

しかし彼の人生は私の責任ではありません

お前は詐欺師だろうと言い返します

なんだか私が負け犬の遠吠えをしてる人間みたいな気分になります

大使館に着いたら、彼が手伝えたことと言ったら何にも有りませんでした

長い列に私を割り込ませようとしたことだけでした

断りましたが、情けない詐欺師です

長く待った」小さなパチンコの景品交換所みたいな窓口でパスポートと書類を提出しました

面接もなにもありません

明日何時にに取りに来いというメモをもらいました

詐欺師にはもう次は来なくてもよいからと約束の半額を渡しました

不服そうな顔をしてました

インド人恐るべしです

2016.4.22 

翌日の午後指定の時間に窓口に行ったら、名前を呼ばれてビザをもらうだけでした

人数が多い上に段取りが悪いため、呼ばれてビザをもらうまで40分くらいはかかりました すべてが終わった今になったと説明を受けました

いえいえ感謝です

ビザも取れてこれでやっとバングラデシュに行くバスチケットを買う事が出来ます

16/04/24くらい

コルカタからバングラデシュ ダッカへバス移動

ビザが取れましたから翌日はさっそくサダルストリートのごみごみしたところにある、

グリーンラインのバスカウンターにバングラデシュのダッカ行きバスの切符を買いに出かけました

バス出発は26日朝6時半です

土産物屋のボスに会いに行きました

バングラデシュのビザを見せて、バングラデシュのタカにとりあえず一万円両替してもらいました

またインドに帰ってくるからごまかしてもすぐわかるよとくぎをさしたうえで

若者が一人いただけでした

詐欺師によろしくとお願いして別れました

ベンガル ブデイスト アソシエーションの事務所にもビザが取れたから明日出ますと報告しに行きました

朝早いからチェックアウトも同時にお願いしました

450ルピアと思っていたのに実際は400ルピアで1泊600円くらいでした

爽快感がありました

延泊を認めてもらった上に安くしてもらったような気分でしたから

2016.4.26

いよいよ翌日の早朝、グリーンラインのバスが、

バングラデシュのダッカに向けてサダルストリートを出発します

インターナショナルバスです

名古屋空港を出発する時と同じ感覚です

しかしバスは渋滞の中をなかなか走れません

ダッカまでの所要時間は15時間です

町を抜けても大きな真っ直ぐ走れる道があまりありません

ただの田舎の一本道を走って行きます

リキシヤや歩行者やいろんな物が邪魔をする道を

ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら走ります

これが外国に向けて走る道なのかと、インフラと言う、

日本でよく聞く言葉の大切さを身を持って理解しました

唯一インターナショナルバスかなと感じたことは、

自分が優先みたいにドライバーがクラクションを鳴らし続けることです

救急車みたいな優先権でもあるのかなと思うくらいです

バングラデシュとの国境に着きました

バスを降りてインドの出国手続き、バングラデシュの

入国手続き終えバスに乗ろうとする時に、

荷物はどうなってるんだろうと気付きました

ほかの乗客の列に付いて何となく

国境超えも終わりかなと言うときに、

荷物を持ってすべての手続きをするべきだった事に

気づいてバスに荷物を確かめに行くと

私の荷物だけインド側に残されていました

何にも考えないで道路をバングラデシュから

インドに引き返しました

係員が待っていました

きっとよくあることなんでしょう

係員と一緒に最初からインド側ゲート

などから通り直しです

でも荷物をチェックされることもなく、

係員の説明だけで出国、入国の順に

走り抜けるみたいに通りすぎました

出入国手続きを二回やった感じでした

当然係官にチップを要求されました

チップを気持ちよく渡したのは

人生でこの時が初めてです

そのほかバス移動で苦労したのは食事です

バススタッフの説明は全部現地語です

現地語のわからない外人は多分私一人だったからです

何時に食事休憩するのか、止まって降りる時に

英語でいちいち確認しないと

トイレ休憩なのか食事休憩なのかもわかりません

食事休憩も30分だけです

注文も言葉も通じずフイッシュ、ライスと言いながら

人の食べてるものを指したりして慌ただしく決めます

そしてバスは予定を大幅に遅れて

夜の11時過ぎにダッカに着きました

バスのついた所は大きな駐車場みたいなところで

乗客はそれぞれ散って行きます 

バスの駐車場のゲートも閉められます

真夜中に知らない土地のバス駐車場前の

薄暗い路上に一人です

宿泊予定先の電話番号は控えてあったのですが

外国で電話するのになれていません

途方に暮れていました

救いは一台のリキシヤが近づいて来たことでした

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Tadaaki Matsubara

Author:Tadaaki Matsubara
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