fc2ブログ

1、バングラデシュ滞在

バングラデシュ滞在

16/04/26

真夜中

1 ダッカ着から宿泊先へ I Arrived in Dhaka  Tiba di Dhaka

宿泊先には夜中になるから翌日から

という話もしてたんですが、

夜中遅くでもいいから連絡して

来るように言われています

外国で外国の番号に電話することが

私にとってはチャレンジなんです

リキシヤが一台声をかけて来ますが

連絡取れないためにかまっていられません

暗くてどこかもわからないダッカの路上

電話繋がらないとあせります

途方に暮れるころ

リキシヤの兄さんの執拗な

声掛けが実りました

しかしこちらから声をかけても、

リキシヤの兄さんは英語がわからず

状況が理解できないのですが、

通りかかりの人が状況を理解して

私のために宿泊先に電話してくれました

ダッカの夜道を親切な人が

歩いていてラッキーです

それをリキシヤの兄さんに伝えてくれて

めでたく出発です

ここのリキシヤは人力です

宿泊先は多分個人の住宅です

探すのに苦労するかもしれません

料金は多分100タカ、150円くらい

だったと思います

途中で人に真夜中の道を聞いてくれたりして、

ここのはずだと言うところに着きました

そこの広い駐車場の奥にステイ先の

オーナー女性が待っていてくれました

私が料金を払おうとすると、

彼女が払おうとしていた料金より

安い料金でいいといいます

いろいろ協力してくれたリキシヤに

多めに払いたかったのですが、

バングラデシュの言葉と成り行きに任せます

リキシヤは不満足な顔つきで帰って行きました

宿泊先はやはり個人のアパートメントでした

彼女は母親と二人で住んでいて空いてる

部屋を旅行者に提供しているみたいでした

夜中です、挨拶は簡単にシャワーを浴びます

すぐにトラブルです

小さな手洗いの水が出なくて、

そこにタオルを置きました

シャワーのあとタオルを取った時に

下から伸びていた古いホースに

タオルを引っ掛けてしまったのか

ホースが外れてしまいました

その話をしたら、弁償してもらうと言われます

タオル引っ掛けたくらいで外れる

欠陥ホースなんてと思いながら

料金を聞いてみると500円はしないと言います

反論しないで料金聞いてよかったですね

夜中に土産もなしで着いたら、

500円の弁償なんて無いにも等しいです

一気に問題は解決です

バスで15時間の予定が18時間ぐらい

かかってダッカ着でした

疲れてます

安心して眠れました


16/04/28

2ダッカで食材探しと観光 

シダーガット

Find food in Dhaka   

Temukan makanan di Dhaka

アパートメントのすぐ近くに

ポツンポツンと果物や野菜等は売ってました

やはりインドと同じくトマト、

きゅうり、バナナが安いですから

またパンとバナナとトマト🍅が

主食みたいになって行きました

一日二日のうちに200タカで食事も

出そうかと提案されお願いすることにしました

宿泊は800タカ合わせて千タカ、約1400円で

コルカタではプラックコーヒーに

最初はこだわっていたんですが

そのうちに甘くないチャイも

出してくれるところを見つけてからは、

安いチャイに替わってしまっていました。

一杯5タカは7円です

ここダッカのアパートメントの

すぐ近くにも砂糖抜きのチャイを

飲めるところを見つけまし

中学生くらいの男の子が営業していて、

最初は甘いチャイを飲んでいたのですが、

よく見てるといっぱいずつ

砂糖っぽいものを入れています

プラックなら一手間抜くだけです

砂糖を入れないでと理解させるのに

苦労したのですが、一度理解したら

次からはもうお願いしなくても

ブラックで出してくれるようになりまし

どうも砂糖を入れないチャイの存在が

コルカタにもダッカにもないようなので

丸椅子や長椅子で5、6人座れる屋台です

もちろん路上です

落ち着いたら景色の良いところを

聞いて今回の旅行で初めて

観光らしいことが出来ました


Sightseeing today  Tamasya

オールドダッカに近いサダーガット

という川の港です


Shodrugat in Dhaka Dhaka's Shodrugat

オールドダッカにあるシダーガット
にやってきました

すごい数の小舟が人を運びます
それとも漁をしてるのかは、わかりません

川岸はゴミだらけで汚いですが
夕日は綺麗です

川の向こう側はホテル街でしょうか
ここがバングラデシュのダッカです





16/04/29

3 気持ちの余裕も出てビールも

手に入れます

I was able to afford more

I also got a beer

Saya memiliki margin mental

Saya juga mendapat bir

ダッカでは食事も提供されるようになり

気持ちに余裕も出て来ました

ここの娘は40歳を越えてると

思いますがまだ独身です

その彼女の知人達と訪れたレストランです

ただ、街中にはアルコールが売ってません

やはりバングラデシュでは

外国人が出入りする高級レストランに

行かないとビールは飲めないようで

イスラム教の国だから仕方ないです

彼女に聞いたらつてがあるからと言います

彼女について行くとある画廊に行きます

自分の気にいった新人アーティストの

作品を安く買って置いていずれ

ビジネスにするんだと言います

そしてここに来た理由が、

そのアーティスト達にビール🍺を

買える店を教えてもらうためだったのです

彼らは外国人も混じっていてイベントの

後にはパーティとかするらしくどこで

ビール買うのか知ってるんだそうです

情報をゲットして彼女か連れて

行ってくれたところは小さなビルの2階で

入り口の雰囲気はバーです

中に入ると暗くて、彼女が店員に

何か説明しています

間もなく店員がビールのブランドを

聞きに来ました

外国のビールは高くローカルのビールは

安いと言います

350mlのローカルのビールを3つ頼みました

新聞紙みたいなのにクルンでフクロに

入れてくれました

ヤミのビールにしては値段も

覚えていないくらい安かったです

多分一缶300円ぐらいだったと思います

インドで最後にビール飲んでから

1週間くらいは経っています

ステイ先に帰ると彼女は母親に

見つからないようにと言います

一缶彼女に薦めたら断りません

母親の気配がするとテーブルの下に隠します

なんとも微笑ましいイスラム教徒です

彼女は大学はトルコの大学で経済を

勉強したと言います

多分トルコでアルコール覚えたんだと思います

母親は糖尿病をわずらっていて

寝ていることが多いのです

この母親も最初は愛想の悪そうな、

取っ付きにくい感じがしてたんですが、

娘が外出して二人残された時に

何やかや話しかけてるうちに

片言の英語で話してくれるようになりました

今のホームステイも娘が始めたんだと言ってました

自分は気が進まなかったけれどもっていう

雰囲気でした

長男は結婚してオーストラリアに

住んでいるといいます

子供二人を大学に行かせてるから、

バングラデシュでは裕福な家庭

だったのかなと思います

ダッカの生活は快適です

2016.4.30 

4 ダッカの人たち

ダッカの街中を歩くとリキシヤが

声をかけてきて、無視しても追いかけて来ます

実は彼らは便利なので

自分の目的とするものの場所とか

道端の人に聞かなくても彼らに聞けるからで

たとえばタオルを買いたいと言えば

教えてくれながらついてきます

リキシヤであちこち走ってる分だけ

情報も持ってます

そのかわり乗って行けといつまでも

追いかけて来ます

断っても追いかけてくるから

いろんなことが聞けます

雑談しながら目的地に来たら、

ありがとうとバイバイします

街なかにはまず外国人がいません

彼らは皆浅黒で顔つきが違うから、

日本人もまれに見る外国人になります

ハローと声をかけて来たり、

じいっとこちらを見ていたりします

じいっと見ている人にハローと手を振ると

、怖い顔も笑顔になって返事を返してくれます

昔の外人がいなかった田舎の日本と同じです

また街なかは人と車とリキシヤで

あふれていて、バスなんかは交差点では

見動き出来ないほどのひどい渋滞です

その合間を人やリキシヤが無理に

通り抜けて行きます

スピードの出しようもないから

大事に至らないのかもしれません

インドと違うのは声をかけてくるのは

ほとんどがリキシヤで、たまには、

ただの挨拶や乞食です

旅行者をつかまえて、案内等で

食事やビールをおごってもらおうなんて

人はいません

そもそも旅行者がいないから

そんな商売の成立のしようもないのかも

しれません

旅行者がほとんどいないのに

観光地は外国人料金で10倍くらい

とるのが不思議です

アーサン モンジール 

ここも外国人料金です

シヨドル ガットの近くにあります

2016.5.2

5 チッタゴンに行く事になりました

日本を出る前にチッタゴンでの

ボランティアの事を少し調べていました

旅行者でも短期でも受け入れて

くれそうな説明でした

しかしながら私には何の特技も

ありませんから、ボランティアで

人のために役立てるという自信がありません

宿泊先でそんな話をしていたら、

私が連絡を取ってあげるからと言われます

1週間ぐらいでも、特に技術とかなくても

OKならばとお願いしました

返事はOKです

急きょダッカからチッタゴンまでの

バスの手配をし、翌日出発することになりました

やっぱりバス会社はグリーンラインです

友好の橋を渡りチッタゴンまで7時間かかりました

バスが着いたのは夕方でした

バス終点にはNGOのボスが

迎えに来てくれました

迎えのボックスカーには

ボスの子供が二人と、日本人の若者が

1人っていました

かれは以前ボランティアで

お世話になっていて、今回は休みを利用して

遊びに来ていると話していました

バスで疲れてないかと質問されて

大丈夫と答えました

大きな間違いでした、

子供達をおろしたあと日本の若者と

二人夜遅くまで引き回されます

どこのどんなところに行くと言う

詳しい説明もありません

まず行ったところは日本フォーラム

とか言う会合でした

日本人がいるのかと思えば

バングラデシュの人ばかりです

何の会合やっているのかもわかりません

どうも日本人の援助で立ち上げられた

チッタゴンの商工会議所の会合みたいな

雰囲気です

何人かが活動報告みたいな話をして、

そのあと団体の名前について議論を

始めたみたいです

団体名に日本人の名字が入っていて、

それをはずすとか外さないとか

議論しているようです

推測するに、日本のどこかの社長が

この団体の設立にかかわり援助も

受けて発足したんだと思います

そして最近はその社長がいなくなったのか、

かかわらなくなってきたのかの理由で

日本人の名前の入った団体の名前について

議論しているのだと思いました

一時間くらいはそこに居させられたと思います

なんの意図で連れて来られたのかも

わかりませんでした

そこを出てやっと宿泊先に連れて

行ってもらえると思ってほっとしました

でもまだ終わりではありませんでした

ちなみに送迎のマイクロは運転手付です

ボスはと言えばひっきりなしに

何処かに電話しています

車の中で30分以上待たされます

また何処かに行くみたいです

もう夜の九時ぐらいです

連れて行かれた先は結婚式の会場でした

見ず知らずのバングラデシュの

結婚式に連れて行かれました

こに座って居てとか、

この人に挨拶してとか言われます

私は一体何者ですか?と思うような

事をさせられます

結婚するカップルと一緒に

写真を取らされたり、ここの結婚式の

衣装はインドと同じイメージでした

面食らっているうちに食事の時間になりました

またここに座ってと言われたままに座ります

斜め向かいの人が警察署長だとか

紹介されて挨拶をします

食事が始まりました

見ているとお皿の水でみな手を洗います

真似をします

自分の皿に食事が入れられます

まわりが手を使って食べ始めます

真似するしかありません

初めて手を使って食事をしました

意外と普通に食べられます

みな食事が終わりかけます 慌てます

最後にお皿の水で指を洗って、

備えてあるティッシュペーパー

みたいな紙で手を拭いて終わりです

あっけにとられることばかりで

宿泊先に着いたのは12時前でした

そこはボスの自宅兼事務所みたいでした

日本人の若者と同じ部屋でベッドが

二つありました

彼に今日の理解できない行動について

質問すると、また彼も私と同じ感想でした

以前のボランティアの時も数日は

こんなふうだったと言います

詮索しても意味ありません

きっとそういう人なんでしよう

次の日も地元の名士とか外国人経営者の

事務所とか、病院とか連れて行かれました

これもチッタゴンのNGOの人の

仕事なんだろうと諦めの境地で

自分だけ電話しながら何処かに歩いて行き、

運転手と日本人若者と三人で一時間ほど

待たされた事もありました

観光に来たわけでもないから

待たされても差し支えないですが

意味もわからず、いつ戻って来るかも

わからないのは困ります

2016.5.4

6 ボランティアの場所は

チッタゴンからCNGで

一時間以上かかる田舎でした

宿泊先を起点にボランティア

するのかなと思ったら違う場所でした

説明では自力でチッタゴンまで

来ることとなっていました

チッタゴンでは迎えがありました

ところがボランティアをするところは

ここからCNG(ミニタクシー)で

1時間以上かかるところらしいです

そこにセンターがありそこで

寝泊りしながらボランティアをするらしいです

そしてボスのイマムは350タカ

(500えんくらいです)

持っているかと聞きます

なんとセンターまで自費で行かされました

CNGの運転手は途中で燃料補給したり

友達を載せて

途中で買い物したりと気楽な若者です

又友好の橋を渡り

(あちこちに友好の橋があります)

田舎道を延々と走ります

350タカと約束してあるから

遠回りしてぼられる心配はありませんが

心配になるほど田舎道を走り続けます

バングラデシュはテロの心配があるとか

聞いてましたが

テロ犯だってこんな田舎には

住みたくないだろうなと思うような

田舎です。陸の孤島に思えてきました

まだかと聞いてももう少しと答えるだけです
Patiaと言う町に来ました
田舎道の先には町がありました
町を通り過ぎるころ道を迷ったのか

運転手は人に道を聞いて
また今来た道を引き返します
センターには行ったことがないみたいです

町の真ん中あたりから脇道に入っていきます

そこからは自転車がやっと走れるような

池と家の間の蛇行道を

CNGはクラクション鳴らしながら

どんどん走ります

約15分くらいでセンターの

建物らしい所を通り過ぎる

直前にセンターのスタッフが道端で

待っていて呼び止めてくれました

遠いところにに来てしまいました

インドのコルカタからバングラデシュの

ダッカ 

ダッカからチッタゴンへ

全部バスです

それからチッタゴンからCNGでここパテイアまで

PatiaからもCNGで、15分の村でした

センターは本当に田舎村のまた田舎でした

関連記事

India 3 インド・バングラデシュ滞在

ビザ取得

16/04/21くらい

ビザ(バングラデシュ)取得しました

土産物屋の店主が紹介したビザのスペシャリストはきちんとした身なりでビジネスマン風です

自分にまかせたら1日でビザが取れると言います

コルカタのバングラデシュ大使館はワイロで動くと言います

自分は知り合いがいるから1日でビザが取れるんだと説明します

そうでないと面接でいろいろ聞かれたりして、日数がかかるといいます

怪しげな話です、値段を聞くと4000ルピアで約6000円

バングラデシュのビザは日本人は無料のはずです

でも1日で取れるなら高くはありません

宿泊施設は一般旅行者は二泊くらいが限度だと聞いていましたから、

土日挟んでビザ取得が伸びるときに、ビザが取れるまでお願いしますと頼んだ手前、

早くビザを取って出て行くに越したことはありません

ワイロが必要だから前払いをと要求します

そして明日の何時にこの店に来てくれといいます

一日が魅力でOKしました

翌日約束の時間に店に行きました

手違いがあったからもう一日欲しいと言います

半分は予想してたけど

それでも怒りがたまり始めます

また翌日約束の時間に行きました

最近ワイロにうるさくなってビザが難しくなってると弁解します

そうかもしれませんが彼が時代遅れなだけです

あるいは彼はただの素人なんでしょう

ここで我慢の限界です

約束違反だから金を返してもらって自分でやるからと伝えます

すると一生懸命やっているのにと、まともに謝りもせず返金を渋ります

彼に殴りかかるポーズを見せたら、店の若者二人に止められて助かりました、

ただのはったりのポーズですから

若者二人にとって私はビールの種ですから、 味方です

出来もしない約束をしたんだから詐欺師と同じだと責めながら、

お金はどこの誰にワイロとして渡したのか聞くとまだ持っていて渡してもいません

申請の書類を見せろと言って彼が出した書類を見て驚きました

私が署名した様式以外にもまだ書類があるのかと思っていたのに、その一枚だけです

そして彼が書いたバングラデシュ現地宿泊予定先欄です

any good hotelと書いてあります

あきれました

彼は何にもしてなかったのです、少なくとも私からみると

もう店主も私の味方です

出来ない約束をしたおまえが悪いと同意見です

どう考えても店主もグルだとしか思えませんが、

紹介した自分に火の粉がかからなければいいと思ったんでしようか

お金とパスポートと書類を返してもらいました

そしてまだ弁解しようとしている詐欺師がどういうわけか少し可哀想になり

あす大使館に一緒に行ってくれるなら半分はあげるからと約束しました

何か力になってくれるかもしれません

次の日大使館に行く途中、まだ時間に余裕があるから自分の家に寄っていってくれと言い出します

一番きらいなパターンです、多分泣き落とし戦術です

案の定彼の家に行ったら、病気だという奥さんが具合悪そうに出てきました、

そしてお茶を出してくれました

彼は収入が少ないから息子の学校に支障が出てるといいます

そこにいた高校卒業控えた息子も私に挨拶させられました

彼が親しくなった日本の慈善家の写真を見せたりします

私にも同じようにして欲しいのでしょうか

やっぱり耐えられません

お茶を飲み干して奥さんにお礼を言い、

詐欺師をうながしてそこそこに彼の家から逃れました

そして彼のやり方を非難しました

昨日は警察に行くことも考えていたくらいだからもう変なことするのはやめてくれと

これから日本人旅行者をだますようなこともやめるように話しました

しかし彼は負けていません

警察に行っても何もしてくれないよと自信有りげです

コルカタの警察も民事不介入かなと思いました

自分は一生懸命やっているのに、

反対に私が冷たくて、我儘な人間だと言いだす始末です

しかし彼の人生は私の責任ではありません

お前は詐欺師だろうと言い返します

なんだか私が負け犬の遠吠えをしてる人間みたいな気分になります

大使館に着いたら、彼が手伝えたことと言ったら何にも有りませんでした

長い列に私を割り込ませようとしたことだけでした

断りましたが、情けない詐欺師です

長く待った」小さなパチンコの景品交換所みたいな窓口でパスポートと書類を提出しました

面接もなにもありません

明日何時にに取りに来いというメモをもらいました

詐欺師にはもう次は来なくてもよいからと約束の半額を渡しました

不服そうな顔をしてました

インド人恐るべしです

2016.4.22 

翌日の午後指定の時間に窓口に行ったら、名前を呼ばれてビザをもらうだけでした

人数が多い上に段取りが悪いため、呼ばれてビザをもらうまで40分くらいはかかりました すべてが終わった今になったと説明を受けました

いえいえ感謝です

ビザも取れてこれでやっとバングラデシュに行くバスチケットを買う事が出来ます

16/04/24くらい

コルカタからバングラデシュ ダッカへバス移動

ビザが取れましたから翌日はさっそくサダルストリートのごみごみしたところにある、

グリーンラインのバスカウンターにバングラデシュのダッカ行きバスの切符を買いに出かけました

バス出発は26日朝6時半です

土産物屋のボスに会いに行きました

バングラデシュのビザを見せて、バングラデシュのタカにとりあえず一万円両替してもらいました

またインドに帰ってくるからごまかしてもすぐわかるよとくぎをさしたうえで

若者が一人いただけでした

詐欺師によろしくとお願いして別れました

ベンガル ブデイスト アソシエーションの事務所にもビザが取れたから明日出ますと報告しに行きました

朝早いからチェックアウトも同時にお願いしました

450ルピアと思っていたのに実際は400ルピアで1泊600円くらいでした

爽快感がありました

延泊を認めてもらった上に安くしてもらったような気分でしたから

2016.4.26

いよいよ翌日の早朝、グリーンラインのバスが、

バングラデシュのダッカに向けてサダルストリートを出発します

インターナショナルバスです

名古屋空港を出発する時と同じ感覚です

しかしバスは渋滞の中をなかなか走れません

ダッカまでの所要時間は15時間です

町を抜けても大きな真っ直ぐ走れる道があまりありません

ただの田舎の一本道を走って行きます

リキシヤや歩行者やいろんな物が邪魔をする道を

ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら走ります

これが外国に向けて走る道なのかと、インフラと言う、

日本でよく聞く言葉の大切さを身を持って理解しました

唯一インターナショナルバスかなと感じたことは、

自分が優先みたいにドライバーがクラクションを鳴らし続けることです

救急車みたいな優先権でもあるのかなと思うくらいです

バングラデシュとの国境に着きました

バスを降りてインドの出国手続き、バングラデシュの

入国手続き終えバスに乗ろうとする時に、

荷物はどうなってるんだろうと気付きました

ほかの乗客の列に付いて何となく

国境超えも終わりかなと言うときに、

荷物を持ってすべての手続きをするべきだった事に

気づいてバスに荷物を確かめに行くと

私の荷物だけインド側に残されていました

何にも考えないで道路をバングラデシュから

インドに引き返しました

係員が待っていました

きっとよくあることなんでしょう

係員と一緒に最初からインド側ゲート

などから通り直しです

でも荷物をチェックされることもなく、

係員の説明だけで出国、入国の順に

走り抜けるみたいに通りすぎました

出入国手続きを二回やった感じでした

当然係官にチップを要求されました

チップを気持ちよく渡したのは

人生でこの時が初めてです

そのほかバス移動で苦労したのは食事です

バススタッフの説明は全部現地語です

現地語のわからない外人は多分私一人だったからです

何時に食事休憩するのか、止まって降りる時に

英語でいちいち確認しないと

トイレ休憩なのか食事休憩なのかもわかりません

食事休憩も30分だけです

注文も言葉も通じずフイッシュ、ライスと言いながら

人の食べてるものを指したりして慌ただしく決めます

そしてバスは予定を大幅に遅れて

夜の11時過ぎにダッカに着きました

バスのついた所は大きな駐車場みたいなところで

乗客はそれぞれ散って行きます 

バスの駐車場のゲートも閉められます

真夜中に知らない土地のバス駐車場前の

薄暗い路上に一人です

宿泊予定先の電話番号は控えてあったのですが

外国で電話するのになれていません

途方に暮れていました

救いは一台のリキシヤが近づいて来たことでした

関連記事

 India  2 インド・バングラデシュ滞在

コルカタの宿

4月18日

食事に慣れるまで

宿泊した施設の部屋です

部屋は確か203号室

2階のはずなのに実は三階です

ベッドが2つあって450ルピア 円では約700円です

トイレとシャワーは共同です

エアコン付きの部屋が希望だったのですが無理でした。

空いてないのか、故障してるのか、そもそもないのかまではお互いの

英語力も手伝って判明しませんでした

初日は食べ物探すのに苦労しました

高いレストランには行けません

大きなテント屋台のレストランで食べたりパンを買って帰ったりしま

した

わたしは高血糖でヘモグロビンA1cが5.9ありました

定年前の夏の最後の健康診断の時には6.8ありました

診断は専門医と相談することをすすめました

それから栄スカイルビルのスカイル内科に通っています

主治医に脅かされてそれ以来食事療法を続けています

食事の30分前に野菜を食べて、食物繊維が血液中を流れると食事の時

の血糖の急な上昇を抑えるからとの、看護師の指導でずっとキャベツ

の浅漬けを食べて来ました

インド、バングラデシュと野菜を食べないわけには行きません

この問題はすぐに半分は解決しました

町を歩けば必ず若い男性が声をかけてきてこちらから聞かなくても彼

らが自分の需要を満たしてくれます

八百屋さんを探していると言えばそこまで連れて行ってくれて、値段

までぼられないように聞いてくれます

コルカタで習慣になった野菜はトマトときゅうりでした

キャベツの浅漬けはわたしにはハードルが高すぎたからです

トマトは日本の四分の一くらいの値段で買えましたから、

手を加える必要もないために習慣になりました

食物繊維という点では少し問題かもしれませんが、野菜は野菜です

そのうえわたしはトマトが大好きですから

コルカタで安い食事を見つけるのが難しかったために、

トマトときゅうりは、パンや屋台食やたまのレストランの代わりに主食を務めたりしていました

16/04

コルカタは暑いです

ペットボトルとタオルは必須です

ただ現地の人がペットボトルやタオルを持ち歩いてる姿はあまりみか

けませんでしたが、自分にとっては絶対に必要なものでした

一度だけ涼しい地下鉄の中で汗を拭いているインド人を見ました

その時は、汗をかくインド人がいたんだなあと感心してしまいました

昼間は暑くて一時間とか外を歩けません

宿にいても特にやることはありません

食料と水の確保のために、一日三回朝、昼、夕方と外出する習慣がつ

きました

食べて、休憩したら外出するというパターンです

そのうちにペットボトルを買わなくても済むようになりました

地下鉄の改札でたところに給水機が置いてあります

ピューリファイド ウオーターと書いてあります

試しに少しずつ外出するたびに試してみました

なんともありません

コルカタ3日目ぐらいから完全にこの地下鉄駅の給水機の水をペットボトルに

詰めるようになりました

地下鉄はサダルストリートまで5ルピア、500mlのペットボトルも買えば5ルピア

10円以下ですが

地下鉄に乗っても水買いに行ってるようなものだから安上がりです

一日三回、出かける時と、帰るときに500mペットボトルに水を詰めると

3リットルになります

これで大体足りるようになりました

地下鉄で毎日サダルストリートに行き、トマト、きゅうり、食料品を

買って水をペットボトルに詰める生活になりました

部屋に帰るとシャワーを浴びてベッドで休憩です

ベッドで休憩しているときに見つけました

配線に止まっているトカゲ

部屋の中が涼しいですから気持ちもわかります

16/04

声をかけてくるコルカタの若者たち

日本を立つまえにバングラデシュのビザを取得する時間はありませんでした

インドのビザ取得に時間がかかりすぎたからです

それにバングラデシュはアライバルビザが取れるとかネットに書いて

ありましたから

コルカタに来てからバングラデシュのダッカ行きバス🚌会社のカウンターに行ってみたんですが、

どうもビザがないとバスの切符も買えないみたいでした

きっと言葉も通じずイミグレで手間取る客は欲しくないんでしょう

コルカタ-ダッカ間を走るインターナショナルバスですから

バングラデシュ大使館探して一度だけ行ってみたら11:30に受け付け終わりということで、

それもその日は週末金曜日です。次は月曜日の朝からしか受け付けてもらえません

そこでいつも行く土産物屋のボスがビザ取得のスペシャリストを紹介するといいます

この土産物屋のことですが

コルカタを歩くと必ず若い男性が声をかけて来ると言いましたが、その若者が出入りしているお店です

私は5人くらいの若者に声をかけられましたが、そのうちの二人は知り合いでこの店に出入りしていました

彼らは旅行者に声をかけて、案内してあげたりして食事をおごってもらったり、

飲みに連れていってもらったりするのが目的です

若者たちの中には田舎から出て来て住むところもなく昼間は賑やかな広場に

寝泊まりしている者もいるようです

朝早く広場に行くと何十人もの人が歩きの邪魔になるくらい寝ています

コルカタでは賑やかなところに限らず郊外の普通の歩道にも寝ています

家族連れも寝ています

家はあっても涼しいから路上で寝ているのかもしれませんが、よくわかりません

犬も一緒に寝ています

私もそこの若者と知り合いになり、時間を決めて待ち合わせ、食事にいったり、

バーにいったりしました

注意しなければならないのは彼らは勝手に友達を連れてきたり

30分も遅れて待ち合わせの場所に現れたりします

おごるのはビール1本だけと話しておいても二本目を飲みたがります

強く断る自信がないなら、食事やバーにはさそわないことです。

多分彼らは一部の旅行者からみたら、いやな思いや怖い思いをさせられたという、

現地のたかりや、だましを目的にした連中だと思います

ただ日本と違うのは彼らは町で生きて行くために、今日の食事を得るためにそうしています

彼らの仕事なんです

選挙期間中は道を挟んで片方の酒屋が閉まってたりして、また闇のビールを買ってもらったりしているうちに、

私も例の土産物屋に出入りするようになっていました

たぶんこの店主が若者たちから情報をもらって金儲けのたねにしようとしているボスの存在だと思います

売れもしないような土産物屋でどうやって生活しているんだろうと最初から思うような、

奥まったところにある怪しげな土産物屋です

そこで大使館に行った話しをしたら、ビザ取得のスペシャリストを知ってるからと言います

そのスペシャリストに会ってみたら1日でビザが取れると言います

最高にうさんくさいです

でも頼むことにしました

関連記事

India 1 インド・バングラデシュ滞在

出発

16/04/14

インドのビザのみ取得

もう去年の4月だからやがて一年になります

3月に退職して4月中旬にインド、バングラデシュへ
一ヶ月の旅行に出かけました

3月31日まで仕事でしたから準備らしいことは
ほとんど出来ていませ んでした

インドのコルカタまでの一ヶ月間の
往復航空券だけ準備しました

それはもう半年も前から

あまり早すぎて出発までに利用する
飛行機の時間変更とかもありました

問題ははインドの入国ビザのみです

インド大使館ホームページから申し込み用紙の
記入するのには本当に苦労しました

サイトはフリーズします

記入項目は、亡き母親の宗教やら
意味のわからない質問がかなりありました

娘にも手伝ってもらってやっとフォームを
記入し東京の大使館あて 送付しました

一週間以上経つて送り返されてきた
内容は、書類の不備でした

そんなことどちらでもいいじゃないかと
怒れて来るような不備の内容 でした

でも仕方ありません。訂正して再送付です

そうしたら今度は大使館の住所が
変わっていて、届きませんでしたと

書留が戻って来たのです

どうして転居するなら転送処理くらい
やってくれないのかとよく調べ

たら、転居して転送処理期間が
過ぎたためだと言うことがわかりました

前回がギリギリセーフで転送処理して
くれて、今回は戻って来たと言う訳です

もう出発まで2週間しか有りません

今度は3回目の正直です

中に手紙を入れて出発に間に合うように
処理、返送してくれるようにお願いしました

もうこの時点でバングラデシュの
ビザ申請は間に合いません

バングラデシュはアライバルビザが
取れるとかネットに書いて有りま

すが今はインドのビザを
手に入れる事がすべてです

出発の3、4日前にビザが届きました

半年間のマルチビザです

やっと予定通り出発出来ました



バングラデシュはイスラム教徒の国でテロやら、治安がよくないとの

情報で貧乏バックパッカーに見えるようにこのようなバッグです

背負う事も、引っ張ることも出来ます



16/04
チャンドラボース空港


武漢空港です

一ヶ月の貧乏旅行ですから飛行機も
格安のLCCみたいなものです

中国東方航空で、上海、武漢、昆明と
乗り換えてコルカタに着きます

いつものことですが中国の空港では
私はワイファイにうまくつなげた

ことがありません

そのうえこのときはわたしはガラケーでしたから、
写真取ろうとして

も明るいところでは被写体が見えないのです

そういうこともあり写真取る時によく見える
10インチのカメラ付きの

ラップトップを持って行きました

空から見た中国の沿海は
どこも茶色に濁っていました

空港での待ち時間も七時間はザラです

コルカタの空港に着くのは16日未明です

定年して時間はあります

お金はありません

七時間待てば安い飛行機を乗り継いで
インドにも行けます

乗り換え時間でお金を稼いでいると
思えば気になりません


そうこうしながらコルカタのチヤンドラ 
ボース空港に到着です

でも真夜中です

宿も予約してないし、タクシーで街に
行っても何ともならないから

朝まで空港で時間をつぶします

スタッフやらそこらの人に街に行くバスは
何時から動き始めるのか

聞いても皆返事はバラバラです

少なくとも6時や7時までは
待たなくてはいけなさそうです

あちこちうろうろ歩いたり、
バス停を見に行ったりして時間をつぶし

ます

乗り換え時間が長かったりして
疲れてるとは思いますがなかなか仮眠

しようとしても眠れません

歩いてたら大きなスーツケースをいくつも
たづさえた若いカップルが声をかけて来ました

彼女と二人洗面所に行きたいから
荷物を見ててくれないかと言います

10分以内ならとOKして荷物の見張り番です

ところが10分経っても、
15分経っても二人は戻って来ません

20分経ったところで空港スタッフ、
ガードマン?をつかまえて状況を

話したらOKしてくれたのでその場を
離れることが出来ました

爆発物でも入ってるかも知れないと、
半分冗談を言いながら

あとで通りかかったら二人はそこに
戻って来ていました

二人で彼氏の実家に戻るところだと
話してました

ちっとも戻って来ないから、爆発物でも
入ってないかとセキュリティ

といろいろ大変だったよと少し
注意してやりました

一晩空港で朝待ちや、飛行機の
時間待ちの人たちはたくさんいました

治安が悪いと言われながら、見ず知らずの
自分に荷物を預け、20分以上平気で
帰って来ないインドのノー天気の若いカップル

朝待ちの空港でインドに対する
イメージが少し良くなった経験でした

やっと朝になりバスで街に向かいます

行き先はと聞かれて街の一番賑やかな
ところで降ろして下さいと頼ん

だら、降ろしてもらったところが
サダルストリートでした



17/04
歩いてゲストハウス探し

空港でほとんど眠れず、コルカタの空気は
暑く町についてまず最初に

やるべきことは安い宿探しです

出発する前に調べた情報では仏教の
お坊さんの施設があり、一般のツ

アリストも受け入れてくれるということでしたが、
ワイファイも繋げ

ない状況では探しようもありません

サダルストリートの町はキレイではなく、
安い宿がありそうな雰囲気

ですから歩いてさがします

歩いていると必ず誰かが声をかけて来ます

タクシー運転手、タカリの若者、
宿引きといろいろです

声かけられた宿の呼び込みは、
身なりが汚くて、エアコンも付いてると言って

ましたが、歩いて5分とか言うから
ついて行かないで、ちょっと歩い

てまた戻ってくるからと別れました

歩いてるうちにゲストハウスの
看板を見つけました

一刻も早く宿でシャワーを浴びたかったので
入って行きました個室です

エアコン付きが2000円、ファンのみだと
1200円くらいでした

この暑いのにエアコンは必要と思い
パスポート見せて2000円払いまし

た、前払いです

部屋はベッドとトイレとシャワーブースです

部屋は古くてベッド除いて汚いです

でもシャワー浴びて休憩したら満足で
町の散策です

ビール探しに出てきま~す

きれいな女性いるよとかリキシヤの
誘いがよく声をかけてきます

ここのリキシヤは三輪のミニタクシーです

ある日大使館まで歩いて帰り道

暑くて止まったリキシヤに乗ろうとしたら、
ドライバーの提示した料

金に、降りて来た女性が怪訝そうに、
ドライバーに尋ね直します

外人の私に法外な料金を請求しようとしてると
思ってドライバーを、

たしなめようとしたんだと思います

女性にお礼を言ってドライバーには
他の客を乗せない条件で手をうち

ました

決めておかないと小さなリキシヤに
いくらでも客を乗せようとします

宿に帰ると番頭みたいな男がビールは
いらないかと聞いてきます

出かけるときに、ビールを探してくると
話したからでしょう

値段を聞いたら酒屋の1.5倍、断りました

そうしたらまた夜にドアをノックして来て
ビールを奨めます

イラッとしたけど笑顔で断りました

部屋のシャワーは出が悪いし、エアコンは
調節が聞かず寒いしトイレは掃除

が行き届いてません

我慢することばかりです

一日でそこは出る事にしました

出る日の早朝散歩に出かけようとしたら、
例の番頭格は外で寝ていました

昨夜みたいな失礼にプレッシャーを
かけておこうと起こして名前を確かめました

失礼な事したら経営者に言いつけられる
かも知れないと考えるようにです

ところが起こされたにも関わらず
愛想よく答えてくれます

握手して終わりになりました

ゲストハウスを出る時です

最後のカウンターで番頭始め
従業員らしき三人がチップを請求して来ます

ここで我慢の限度を超えました

失礼な番頭、汚い部屋、何も言わずに
我慢して出て行こうとしてるのに

最後にはチップの要求

大声で言いたい事を言って
チップ込みの部屋の価値しかないみたいな

ことを怒鳴って出て来ました

後味の悪さよりも気分がすっきりしました

そして次の宿探しです


次の目的地の宿です

お坊さん向けの宿泊施設みたいですが
1、2日なら一般客求も泊まれるとネットで調べました


2016年4月17日

また宿探しです

日本を出る前から宿泊施設は一つだけ調べていました

その名前はThe Bengal Buddhist Association

お坊さんの宿泊施設なんだけど一般旅行者も
受け入れてくれるとネットで調べて来ました

だけどガラケーではグーグルのナビも使えません

そんな知識もその時はありませんでしたが

仕方ないから妻に宿泊施設の位置情報を
送ってくれるようメールしました

地下鉄セントラルメトロ駅からの道順を送ってくれました

まずはメトロの駅探しからです

サダルストリートの外れにメトロの駅はありました

セントラルメトロ駅は三駅か四駅だからすぐです

さてメトロを降りてからが問題でした

送ってもらった道案内

通りの名前、交差点の名前がカタカナ
で案内してあっても、実際の道

路表示はヒンズー語かなにかで
書いてあり役に立ちません

手当たり次第にお寺の宿泊施設の
名前で聞き込みを開始しました

まずその施設の名前をみんなが知りません

大きなお寺だと言う事でみんなに聞きます

たぶんこれが間違っていました

町の中の宿泊施設でお寺ではありませんでした

何人かがお寺ならこちらの方向だと
教えてくれますが、方向がバラバ

ラてあてになりません

教えられた方向が正しいかどうかもわかりません

100メートル歩いては道を聞きます

反対方向だよと言われて引き返してみたり、
さんざん歩き回ります

やっとここではないかなというところについて
看板の名前を確認します

間違いありません

でも門は閉まっていては入れません

一周しても入り口がありません

仕方がないから電話しました

一番苦手な外国での電話です

でもつながりました

門は施錠してないから入って
来なさいと教えられます

確かに門は閉まってましたがよく見ると
カンヌキのキーは閉まってません

やっとなかには入りれました



ここです

ベンガル ブデイスト アソシエーション

事務所に年配の女性が座っていて、
二三日の宿泊を受け入れてくれました

二三日と言うのはバングラデシュの
ビザの手続きの身込み期間で適当
にお願いしました

関連記事

定年後の半年 インド・バングラデシュ 定年後初の1ヶ月の旅

インド縮小版

インド・バングラデシュ 定年後初の1ヶ月の旅




2016/03/31   定年退職しました

定年後すぐにインド、バングラデシュに出かけました

4月14日から5月11日までインドとバングラデシュに行きます

中国東方航空で三回乗り換えます


20170315212315757.jpg

上海で乗り換えここは2度目の乗り換え地武漢空港です

このあとまだ昆明でもう一度乗り換えです


インドのコルカタに到着しました              
Arrived in Kolkata, India

夜中にチャンドラボース空港に着きました        
Arrived at Chandra Bose Airport in the middle of the night

宿は目ぼしい所を調べてみたけど予約していません  

I searched for a remarkable place in the inn, but I haven't made a reservation.


バスが動く朝まで空港で待ちます

インド人の若いカップルからお願いです

洗面所にいくから荷物を見ていて欲しいと頼んできます

10分くらいならいいよと引き受けました


二人はは30分経っても戻って来ません

大きな旅行カバンが5つくらいあります

私はパトロール中の空港スタッフに話しました

いきさつを話しスタッフに荷物を頼みます


またそこを通りかかると2人は戻っていました

爆弾でも入ってないだろうかと大騒ぎだったよと脅かします

二人はは恐縮しながら笑っています

この1件でインド人に対する親近感が湧きました

たぶん私のインド滞在は安泰過ぎていくことでしょう



翌朝一番のバスで街に出ます      
The next morning I took the first bus to the city

バスの運転手が行き先を聞きます         
The driver asked where to go

街の一番賑やかなところと、答えました       
I answered " most lively place in the city"

着いた所はサダルストリートと言う観光地でした  
I arrived at a tourist spot called Sudder Street.


早く宿でシャワーを浴びたかったです

最初に目に入ったゲストハウスに飛び込みました

エアコン付きで2,000円くらいだったと思います

シャワーを浴びて休憩しました

その後街にビールを探しに出ました


その後スタッフがビールは要らないかと3回も聞きにきます

設備はいい加減でスタッフは図々しいです

一泊だけで出る事に決めました


翌朝出る時には、そのスタッフにチップまで請求されます

チップなんか払えるか!、お前のボスからもらえ!

そう怒鳴って出て来ました


でも私の心は怒鳴ったおかげで晴れ晴れです

その後は僧侶のための宿泊施設に滞在しました

日本にいる時に情報を得ていました


20170317193826922.jpg

この施設をを探すのに相当歩き回りました

結果はすぐ近いのに気づかなかったのが理由です

この時私はスマホを持っていませんでした


バングラデシュが私の旅行の目的です

定年前に仕事しながらぎりぎりにインドのビザを取得しました

バングラデシュのビザは間に合いませんでした

帰りはまたコルカタから飛行機だからインドのビザはマルチビザです

コルカタはバングラデシュビザを取るための滞在です


20170317215736951.jpg

ファンのみの部屋でしたが快適に過ごせました

街で旅行者に近づく連中と知り合いになりました

1日でビザを取るという詐欺師などもいました

そう言うグループと交友を深めました


彼らは外国人旅行者を食い物にしています

でも私には憎めない、嘘見え見えの善良な人間に思えました

コルカタにまた行くなら一番に会いたい連中です


詐欺師から金を取り返しました

彼の最後の手段の泣き落としです

妻は病気で息子の学費は払えないと

私は冷たく対応して、ビザ取得します

私は詐欺師に我儘で冷たい人間と言われました

自分で手続きしてビザが取得できました


2016年4月26日

目的地バングラデシュに向け出発です

狭い路地から朝の6時にバスは出ます

コルカタからバングラデシュのダッカまでです

グリーンバスは国際横断のバスです

牛やリヤカーがバスの道を邪魔します

国際横断バスはクラクションを慣らし続けながら走ります


インドとバングラデシュの国境に到着しました

イミグレのスタッフは優しく挨拶してくれます

気持ちよくバングラデシュ側に出ました

そして気づきました、荷物がありません

インド側でバスに荷物を残したままでした


バスはインド側にまだ止まってるのが見えます

バスまでの距離は約100mです

バングラデシュからバスの待つインドに戻ります

私が残した荷物の為にスタッフはバスで待っていました

荷物を持ち直し、もう一度イミグレを通ります


ダッカに着くまで18時間の間バスは4,5回休憩しました

英語も話さない車掌で、何の休憩かもわかりません

何分に出発するかも分らず食事をゆっくり食べることもできません

それでも時間が過ぎれば目的地に着きます


夜中12時くらいにとうとうダッカ到着です

バスターミナルみたいなところで降ろされました

夜中だから、乗客はすぐに散っていきます

ターミナルの電気も消え、真っ暗です

道路の街灯下だけが明るいです

夜中過ぎに知らないダッカの街の街灯の下です

一人取り残されました 少し焦りました

私は外国での電話のかけ方を知りません

たまたま、通りがかりの人が英語を話します

彼は私の状況を理解してくれました

宿泊先にも電話してくれました

彼がリキシャを止めて説明してくれます

リキシャも状況を理解したようです

リキシャは道を聞きながら走り続けます

こうやって宿泊先までたどり着く事が出来ました

私は幸運な人間です

バングラデシュ最初の難関もクリアーしました


20170320144650959.jpg

ダッカでは5円くらいでチャイを飲めます

二日目からは観光も出来ました

ダッカの街の渋滞はひどいです、動きません

バスも、トウクトウクも止まったままです

その間をリキシャと人が通り抜けます


ダッカには数日滞在しました

チッタゴンでのボランテイアが目的です

でもまだ約束のアポイントは取っていません

ステイ先の女性がNPOにアポイントを取ってくれました

彼女がバスのチケットも予約してくれました

その翌日チッタゴンまで一日かけて移動します

いよいよチッタゴンのボランテイア先に行きます


チッタゴンのバスターミナルに到着しました

そこにはNPOのボスが迎えに来てくれていました

20170323215226170.jpg


チッタゴンの町は思ったより綺麗でした

ダッカほどゴミゴミや混雑はありません

NGOのボスの家に2、3日滞在します

ボランテイア先はチッタゴンの田舎町パテイアらしいです

ところがボスは送ってくれません

私は自費でトウクトウク移動です

知らないパテイアまで一人です

川や田んぼと林ばかりです

田舎道を走るトウクトウクに揺られながら考えました

ここはテロとかが心配されるバングラデシュです

こんな田舎でターゲットを待つテロはいなだろうと


トウクトウクは道を間違えながら走ります

ドライバーは道を聞きながら目的地近くまで来ました

施設のスタッフたちが道に出て、待っていてくれました

やっぱり行き着かないこということはないです


着いたのは田舎の村にある障害児サポートセンターです

このセンターで一週間のボランティアをしました


1.jpg


アニメのトトロに出て来るような、施設前の風景です

施設の裏は広大な畑か田んぼだけです

水牛が多くたむろしています


ストレッチなどリハビリが中心ののボランテイアでした

出産に伴う障害児の家を家庭訪問します

ボランティアといってもスタッフに付いて回るだけです

むしろ足手まといでしかありませんした


でもどういうわけか、著名人の家に連れていかれます

あちこちで紹介され、挨拶させられます

母の日の行事に参加した後の事です

副町長のところに連れていかれました

集まる人たちの前で挨拶させられます

質疑応答がはじまります、冷や汗ものです

ボスの家に滞在した時から、そんなことばかりです

予告もなくこんなことをさせるのがバングラデシュみたいです


ボランテイアの間、宿泊は施設内です

6時過ぎは、施設建物の入り口は施錠されます

つまり私は6時以降施設に閉じ込められます

夕食はセキュリテイのチャチャが運んでくれます

一晩に3,4回停電します、水道も止まったりします

冷たい水でシャワー浴びてる時に停電します

何もかも予想外すぎて一人で笑えてきます

真っ暗な中で寒くても、私は生きてることを感じます

電気が付いたらあわてて洗濯を済ませます

いつまた暗くなるか、わかりません

セキュリテイが運んでくれた夕食を慌てて食べます

あると言われたWi-Fiは使えませんでした

施設のPCが動かないときがあります

スタッフは私のラップトップを借りて使います

ラップトップを返してもらった後で、驚きました

全職員の給与支払い情報が残っていました


全体にみんな親切な人ばかりでした 

でも珍しい日本人の扱い、だったと思います

ここで1週間ボランテイアをしました

実際はほとんど役には立ちませんでした


1週間が終わり、チッタゴンへ帰ります

パテイアからトウクトウクでチッタゴンへ戻ります

チッタゴンはボスの家でまた1泊します

翌朝はダッカへまたバスで1日かけて戻ります


nn.jpg


チッタゴン、ダッカの間にはこんな川が横たわっています

バングラデシュを分断しています

日本援助の友好の橋がありました

ダッカではまた同じところに2泊しました


5月11日 いよいよインドのコルカタへ帰ります

コルカタ行きバスターミナルまではリキシャです

途中で多くの警察官が見えました

聞けば昨夜、つるし首の殺人があったと言います

つるし首殺人?これがバングラデシュですか

おまけに長時間のバスの中でまた問題です

警官か、軍人かわからない人が居眠りしています

彼の持っている機関銃の先が私の足を狙っています

彼が悪い夢でも見ていたらと思うと怖いです

でも機関銃は暴発することはありませんでした

バスは16時間かけて、無事コルカタに着きました

チャンドラボース空港は街に行く途中にあります

もう私は町まで行く必要はありません

途中で空港の近くでバスから降ろしてもらいました

飛行機はその日の夜中に出発予定です

そして、その日5月11日の夜中に飛行機に乗りました

コルカタから名古屋行の飛行機です

LCCだからもちろん2回乗り換えです


5月12日 名古屋、日本に無事帰って来れました

私はインド・バングラデシュの水も食事もOKでした

それにしても、とにかくバス移動ばかりでした

デコボコ道を連日長時間バスで移動しました

日本に帰って来てからしばらくは腰が痛かったです

でも、これが定年後最初の、1ヶ月の長い旅行でした

初めての長い旅行は達成感がありました


この直後の5月14日にサイクロンがチッタゴンを襲いました

20名の行方不明者が出たというニュースを聞きました


また7月1日にはバングラデシュでテロ事件がありました

28人が死亡したレストランの襲撃事件です

この頃はいろいろありました

あとで詳しく聞いた話です

私は日本を4月14日に出発しました

でもその日の夜に熊本地震がありました

妻からのメール情報はありました

でも私は自分の旅行に精いっぱいでした

だから関心を持つことなく過ぎていました



それからまもなくして7月5日から8月4日までインドネシアに1か月行きました

どうしてももう一度インドと、バングラデシュに行きたい気持ちを消すためです


それからまもなくして7月5日から8月4日までインドネシアに1か月行きました

どうしてももう一度インドと、バングラデシュに行きたい気持ちを消すためです

ジャカルタはネットで探し部屋を借りました

ジャカルタは30日以内の滞在はビザは不要です

不用意にも私の日程は一日オーバーします

1ヶ月と30日以内は大差です

航空券を予約した後で気づきました

たぶんジャカルタ滞在中にバタバタと

空港に行ったりして手続きしたと

思いますがよくは覚えていません


<

続けて9月5日から9月10日まで

オーストラリアのケアンズに妻と2人ツアーで旅行です

ジャカルタに行く前から決めていました

往復ともフィリピン・マニラ経由でした

オーストラリアは電子ビザでした

何より驚いたのはオーストラリアの物価高です

以前一人旅した時は物価は日本の6割でした

何処に行っても日本のジェントルマンでした

そのころの日本はバブルでしたから

でも今回は物価は日本の1.5倍です

中国の力は恐るべしです

日本みたいに細かいことは言いません

気前よく大量の農産物を買ってくれます

オーストラリア発展の原動力は中国でした

高いからコーヒー一杯気楽に飲めません

成長著しいアジアの他の国は今のうちに

行っとかないとだめだなとつくづく思いました


しばらくはアジアが続くことになりそうです

ヨーロッパ、アメリカは成長が止まっています

5年10年後でも物価高にはなりません

何年も待っていてくれます



10月20日から12月19日まで再度インドネシアのジャカルタに行きます

今回は往復2ヶ月の切符です

ビザなし滞在は30日以内です

ビザの延長のためにクアラルンプールに出ます

クアラルンプールのゲストハウスはひどかったです

2泊でジャカルタに逃げ帰りました

本当は1週間の予定でした

でも二日で帰ったためビザの延長になってません

またシンガポールまで夜の飛行機で出ました

そして翌朝ジャカルタに帰りました

イミグレでは何も言われませんでした

こうしてビザの延長は出来ました

そして最後の10日間はジャカルタに妻が合流です

バンドン、ジョグジャ、バリを観光して帰りました

妻が来るのがとても待ち遠しかったです

1か月で飽きて来てました 2か月は長いです

その間に、ジャカルタ繁華街ではイスラム

過激派の大規模集会が2回行なわれました

家主には街に散歩に行くのを止められました


12月に妻がジャカルタに来ました

妻と二人バンドンの知人を列車で尋ねました

バンドンは11月初めにバンドン駅が水に浸かる水害に見舞われてます

最近はヨーロッパで頻繁にテロが起きたりしています

旅行を控える人がいると聞いたりします

私が訪問したところも直前直後にいろんなことが起きています

でも日本にいても交通事故や事件に巻き込まれます

確率はどちらが高いんだろうかと考えます

そう考えればあまり心配にはなりません


私はバングラデシュでもイスラム教徒の家に泊まりました

ジャカルタでもイスラム教徒の家に滞在しました

イスラムの人達は、怖いということはありません

昔の日本のような生活をしています

結構不便な生活をしています

お金持ちの人でも食生活が貧しいです

たぶん料理のレシピが少ないのでしょう


インド・バングラデシュのインパクトは強かったです

ジャカルタに行くことでそれを消すことが出来ました

アジアは子供の頃の日本と同じです

もうすでに発展し始めています

今行かないと10年後は物価高になってるでしょう

関連記事
Profile

Tadaaki Matsubara

Author:Tadaaki Matsubara
We teach Japanese to people all over the world for free using ZOOM
There are many Japanese teaching materials, Southeast Asian travelogues,
and flower photographs.

Latest journals
Latest comments
Monthly archive
Category
Search form
Display RSS link.
Link
Friend request form

Want to be friends with this user.