1、バングラデシュ滞在
バングラデシュ滞在
・
16/04/26
真夜中
1 ダッカ着から宿泊先へ I Arrived in Dhaka Tiba di Dhaka
宿泊先には夜中になるから翌日から
という話もしてたんですが、
夜中遅くでもいいから連絡して
来るように言われています
外国で外国の番号に電話することが
私にとってはチャレンジなんです
リキシヤが一台声をかけて来ますが
連絡取れないためにかまっていられません
暗くてどこかもわからないダッカの路上
電話繋がらないとあせります
途方に暮れるころ
リキシヤの兄さんの執拗な
声掛けが実りました
しかしこちらから声をかけても、
リキシヤの兄さんは英語がわからず
状況が理解できないのですが、
通りかかりの人が状況を理解して
私のために宿泊先に電話してくれました
ダッカの夜道を親切な人が
歩いていてラッキーです
それをリキシヤの兄さんに伝えてくれて
めでたく出発です
ここのリキシヤは人力です
宿泊先は多分個人の住宅です
探すのに苦労するかもしれません
料金は多分100タカ、150円くらい
だったと思います
途中で人に真夜中の道を聞いてくれたりして、
ここのはずだと言うところに着きました
そこの広い駐車場の奥にステイ先の
オーナー女性が待っていてくれました
私が料金を払おうとすると、
彼女が払おうとしていた料金より
安い料金でいいといいます
いろいろ協力してくれたリキシヤに
多めに払いたかったのですが、
バングラデシュの言葉と成り行きに任せます
リキシヤは不満足な顔つきで帰って行きました
宿泊先はやはり個人のアパートメントでした
彼女は母親と二人で住んでいて空いてる
部屋を旅行者に提供しているみたいでした
夜中です、挨拶は簡単にシャワーを浴びます
すぐにトラブルです
小さな手洗いの水が出なくて、
そこにタオルを置きました
シャワーのあとタオルを取った時に
下から伸びていた古いホースに
タオルを引っ掛けてしまったのか
ホースが外れてしまいました
その話をしたら、弁償してもらうと言われます
タオル引っ掛けたくらいで外れる
欠陥ホースなんてと思いながら
料金を聞いてみると500円はしないと言います
反論しないで料金聞いてよかったですね
夜中に土産もなしで着いたら、
500円の弁償なんて無いにも等しいです
一気に問題は解決です
バスで15時間の予定が18時間ぐらい
かかってダッカ着でした
疲れてます
安心して眠れました
16/04/28
2ダッカで食材探しと観光
シダーガット
Find food in Dhaka
Temukan makanan di Dhaka
アパートメントのすぐ近くに
ポツンポツンと果物や野菜等は売ってました
やはりインドと同じくトマト、
きゅうり、バナナが安いですから
またパンとバナナとトマト🍅が
主食みたいになって行きました
一日二日のうちに200タカで食事も
出そうかと提案されお願いすることにしました
宿泊は800タカ合わせて千タカ、約1400円で
コルカタではプラックコーヒーに
最初はこだわっていたんですが
そのうちに甘くないチャイも
出してくれるところを見つけてからは、
安いチャイに替わってしまっていました。
一杯5タカは7円です
ここダッカのアパートメントの
すぐ近くにも砂糖抜きのチャイを
飲めるところを見つけまし
中学生くらいの男の子が営業していて、
最初は甘いチャイを飲んでいたのですが、
よく見てるといっぱいずつ
砂糖っぽいものを入れています
プラックなら一手間抜くだけです
砂糖を入れないでと理解させるのに
苦労したのですが、一度理解したら
次からはもうお願いしなくても
ブラックで出してくれるようになりまし
どうも砂糖を入れないチャイの存在が
コルカタにもダッカにもないようなので
丸椅子や長椅子で5、6人座れる屋台です
もちろん路上です
落ち着いたら景色の良いところを
聞いて今回の旅行で初めて
観光らしいことが出来ました
Sightseeing today Tamasya
オールドダッカに近いサダーガット
という川の港です
Shodrugat in Dhaka Dhaka's Shodrugat
オールドダッカにあるシダーガット
にやってきました
すごい数の小舟が人を運びます
それとも漁をしてるのかは、わかりません
川岸はゴミだらけで汚いですが
夕日は綺麗です
川の向こう側はホテル街でしょうか
ここがバングラデシュのダッカです
16/04/29
3 気持ちの余裕も出てビールも
手に入れます
I was able to afford more
I also got a beer
Saya memiliki margin mental
Saya juga mendapat bir
ダッカでは食事も提供されるようになり
気持ちに余裕も出て来ました
ここの娘は40歳を越えてると
思いますがまだ独身です
その彼女の知人達と訪れたレストランです
ただ、街中にはアルコールが売ってません
やはりバングラデシュでは
外国人が出入りする高級レストランに
行かないとビールは飲めないようで
イスラム教の国だから仕方ないです
彼女に聞いたらつてがあるからと言います
彼女について行くとある画廊に行きます
自分の気にいった新人アーティストの
作品を安く買って置いていずれ
ビジネスにするんだと言います
そしてここに来た理由が、
そのアーティスト達にビール🍺を
買える店を教えてもらうためだったのです
彼らは外国人も混じっていてイベントの
後にはパーティとかするらしくどこで
ビール買うのか知ってるんだそうです
情報をゲットして彼女か連れて
行ってくれたところは小さなビルの2階で
入り口の雰囲気はバーです
中に入ると暗くて、彼女が店員に
何か説明しています
間もなく店員がビールのブランドを
聞きに来ました
外国のビールは高くローカルのビールは
安いと言います
350mlのローカルのビールを3つ頼みました
新聞紙みたいなのにクルンでフクロに
入れてくれました
ヤミのビールにしては値段も
覚えていないくらい安かったです
多分一缶300円ぐらいだったと思います
インドで最後にビール飲んでから
1週間くらいは経っています
ステイ先に帰ると彼女は母親に
見つからないようにと言います
一缶彼女に薦めたら断りません
母親の気配がするとテーブルの下に隠します
なんとも微笑ましいイスラム教徒です
彼女は大学はトルコの大学で経済を
勉強したと言います
多分トルコでアルコール覚えたんだと思います
母親は糖尿病をわずらっていて
寝ていることが多いのです
この母親も最初は愛想の悪そうな、
取っ付きにくい感じがしてたんですが、
娘が外出して二人残された時に
何やかや話しかけてるうちに
片言の英語で話してくれるようになりました
今のホームステイも娘が始めたんだと言ってました
自分は気が進まなかったけれどもっていう
雰囲気でした
長男は結婚してオーストラリアに
住んでいるといいます
子供二人を大学に行かせてるから、
バングラデシュでは裕福な家庭
だったのかなと思います
ダッカの生活は快適です
2016.4.30
4 ダッカの人たち
ダッカの街中を歩くとリキシヤが
声をかけてきて、無視しても追いかけて来ます
実は彼らは便利なので
自分の目的とするものの場所とか
道端の人に聞かなくても彼らに聞けるからで
たとえばタオルを買いたいと言えば
教えてくれながらついてきます
リキシヤであちこち走ってる分だけ
情報も持ってます
そのかわり乗って行けといつまでも
追いかけて来ます
断っても追いかけてくるから
いろんなことが聞けます
雑談しながら目的地に来たら、
ありがとうとバイバイします
街なかにはまず外国人がいません
彼らは皆浅黒で顔つきが違うから、
日本人もまれに見る外国人になります
ハローと声をかけて来たり、
じいっとこちらを見ていたりします
じいっと見ている人にハローと手を振ると
、怖い顔も笑顔になって返事を返してくれます
昔の外人がいなかった田舎の日本と同じです
また街なかは人と車とリキシヤで
あふれていて、バスなんかは交差点では
見動き出来ないほどのひどい渋滞です
その合間を人やリキシヤが無理に
通り抜けて行きます
スピードの出しようもないから
大事に至らないのかもしれません
インドと違うのは声をかけてくるのは
ほとんどがリキシヤで、たまには、
ただの挨拶や乞食です
旅行者をつかまえて、案内等で
食事やビールをおごってもらおうなんて
人はいません
そもそも旅行者がいないから
そんな商売の成立のしようもないのかも
しれません
旅行者がほとんどいないのに
観光地は外国人料金で10倍くらい
とるのが不思議です
アーサン モンジール
ここも外国人料金です
シヨドル ガットの近くにあります
2016.5.2
5 チッタゴンに行く事になりました
日本を出る前にチッタゴンでの
ボランティアの事を少し調べていました
旅行者でも短期でも受け入れて
くれそうな説明でした
しかしながら私には何の特技も
ありませんから、ボランティアで
人のために役立てるという自信がありません
宿泊先でそんな話をしていたら、
私が連絡を取ってあげるからと言われます
1週間ぐらいでも、特に技術とかなくても
OKならばとお願いしました
返事はOKです
急きょダッカからチッタゴンまでの
バスの手配をし、翌日出発することになりました
やっぱりバス会社はグリーンラインです
友好の橋を渡りチッタゴンまで7時間かかりました
バスが着いたのは夕方でした
バス終点にはNGOのボスが
迎えに来てくれました
迎えのボックスカーには
ボスの子供が二人と、日本人の若者が
1人っていました
かれは以前ボランティアで
お世話になっていて、今回は休みを利用して
遊びに来ていると話していました
バスで疲れてないかと質問されて
大丈夫と答えました
大きな間違いでした、
子供達をおろしたあと日本の若者と
二人夜遅くまで引き回されます
どこのどんなところに行くと言う
詳しい説明もありません
まず行ったところは日本フォーラム
とか言う会合でした
日本人がいるのかと思えば
バングラデシュの人ばかりです
何の会合やっているのかもわかりません
どうも日本人の援助で立ち上げられた
チッタゴンの商工会議所の会合みたいな
雰囲気です
何人かが活動報告みたいな話をして、
そのあと団体の名前について議論を
始めたみたいです
団体名に日本人の名字が入っていて、
それをはずすとか外さないとか
議論しているようです
推測するに、日本のどこかの社長が
この団体の設立にかかわり援助も
受けて発足したんだと思います
そして最近はその社長がいなくなったのか、
かかわらなくなってきたのかの理由で
日本人の名前の入った団体の名前について
議論しているのだと思いました
一時間くらいはそこに居させられたと思います
なんの意図で連れて来られたのかも
わかりませんでした
そこを出てやっと宿泊先に連れて
行ってもらえると思ってほっとしました
でもまだ終わりではありませんでした
ちなみに送迎のマイクロは運転手付です
ボスはと言えばひっきりなしに
何処かに電話しています
車の中で30分以上待たされます
また何処かに行くみたいです
もう夜の九時ぐらいです
連れて行かれた先は結婚式の会場でした
見ず知らずのバングラデシュの
結婚式に連れて行かれました
こに座って居てとか、
この人に挨拶してとか言われます
私は一体何者ですか?と思うような
事をさせられます
結婚するカップルと一緒に
写真を取らされたり、ここの結婚式の
衣装はインドと同じイメージでした
面食らっているうちに食事の時間になりました
またここに座ってと言われたままに座ります
斜め向かいの人が警察署長だとか
紹介されて挨拶をします
食事が始まりました
見ているとお皿の水でみな手を洗います
真似をします
自分の皿に食事が入れられます
まわりが手を使って食べ始めます
真似するしかありません
初めて手を使って食事をしました
意外と普通に食べられます
みな食事が終わりかけます 慌てます
最後にお皿の水で指を洗って、
備えてあるティッシュペーパー
みたいな紙で手を拭いて終わりです
あっけにとられることばかりで
宿泊先に着いたのは12時前でした
そこはボスの自宅兼事務所みたいでした
日本人の若者と同じ部屋でベッドが
二つありました
彼に今日の理解できない行動について
質問すると、また彼も私と同じ感想でした
以前のボランティアの時も数日は
こんなふうだったと言います
詮索しても意味ありません
きっとそういう人なんでしよう
次の日も地元の名士とか外国人経営者の
事務所とか、病院とか連れて行かれました
これもチッタゴンのNGOの人の
仕事なんだろうと諦めの境地で
自分だけ電話しながら何処かに歩いて行き、
運転手と日本人若者と三人で一時間ほど
待たされた事もありました
観光に来たわけでもないから
待たされても差し支えないですが
意味もわからず、いつ戻って来るかも
わからないのは困ります
2016.5.4
6 ボランティアの場所は
チッタゴンからCNGで
一時間以上かかる田舎でした
宿泊先を起点にボランティア
するのかなと思ったら違う場所でした
説明では自力でチッタゴンまで
来ることとなっていました
チッタゴンでは迎えがありました
ところがボランティアをするところは
ここからCNG(ミニタクシー)で
1時間以上かかるところらしいです
そこにセンターがありそこで
寝泊りしながらボランティアをするらしいです
そしてボスのイマムは350タカ
(500えんくらいです)
持っているかと聞きます
なんとセンターまで自費で行かされました
CNGの運転手は途中で燃料補給したり
友達を載せて
途中で買い物したりと気楽な若者です
又友好の橋を渡り
(あちこちに友好の橋があります)
田舎道を延々と走ります
350タカと約束してあるから
遠回りしてぼられる心配はありませんが
心配になるほど田舎道を走り続けます
バングラデシュはテロの心配があるとか
聞いてましたが
テロ犯だってこんな田舎には
住みたくないだろうなと思うような
田舎です。陸の孤島に思えてきました
まだかと聞いてももう少しと答えるだけです
Patiaと言う町に来ました
田舎道の先には町がありました
町を通り過ぎるころ道を迷ったのか
運転手は人に道を聞いて
また今来た道を引き返します
センターには行ったことがないみたいです
町の真ん中あたりから脇道に入っていきます
そこからは自転車がやっと走れるような
池と家の間の蛇行道を
CNGはクラクション鳴らしながら
どんどん走ります
約15分くらいでセンターの
建物らしい所を通り過ぎる
直前にセンターのスタッフが道端で
待っていて呼び止めてくれました
遠いところにに来てしまいました
インドのコルカタからバングラデシュの
ダッカ
ダッカからチッタゴンへ
全部バスです
それからチッタゴンからCNGでここパテイアまで
PatiaからもCNGで、15分の村でした
センターは本当に田舎村のまた田舎でした
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